〈 AFTER DINNER 初期作品のリマスタリングに寄せて 〉 〜リマスタリング論〜 宇都宮 泰 ’05年2月25日 改訂05年4月16日 ☆☆☆ 4月12日付けでHacoから訂正の要求と著作権利関係の主張があったので、訂正の要求に関する部分のみ原文のまま、巻末に掲載します。 改定05年5月6日 ☆☆☆ 4月20日 製品版が手元に届く、が・・・。「その後」を″7″に追加。本編も部分訂正 **** 序 **** 本当のところ世間での私に対する評価はそれほど悪くはないと私は自身思っているが、外野ギャラリーにとっては「イカレポンチ」な「変人」の代表かも知れない。本テキストは私が23年前に独力で築いた音楽観と技術についての回顧録と、今現在行っているその作品に対するさらなるバージョンアップのレポートである。まっとうな道を志す者には励み、あるいは道しるべとして、外野ギャラリーには「究極のイカレポンチ」の称号を頂きたく、ここに著作する。 ☆☆☆☆「正常な美ほどつまらないものはない。異常だからこそ美しいのだが。・・・ ・・(先人が言ってなければ)宇都宮 泰」☆☆☆☆ **** 目次 file 技術度 音楽度 序文・格言・目次 ////////////////////0___1___3 注 _______________________________0___4 宇都宮とアフターディナー ////////////////1___1___3 リマスタリングに至る経緯 ____________________2___2 オリジナル・マスターテープについて _______________4___2 今回の作業工程 _________________________5___1 再生という作業 _________________________4___1 デジタル録音レベル調整1 ___________________5___1 デジタル録音レベル調整2(シンメトリー保証) _________5___2 復旧作業 髪モビールの部屋 ______________________5___3 シングル ___________________________3___1 After Dinner(曲名) //////////2___4___5 夜明けのシンバル ______________________6___5 (アナログレコード時代の実用上完全と上限の完全) ____6___2 (シンメトリー保証) __________________5___2 アルバム ___________________________6___3 当時の技術背景 デジタル化への対応 _____________________4___1 ノーイコライザーであること _________________3___4 現行システムへの批判と自らへの戒め _____________3___4 セピアチュール1 //////////////////3___5___6 加速度のエチュード/ソニャドール ______________1___2 お嬢さんとシャベル _____________________4___2 (バイノーラルの論理性) ________________3___3 desert/dessert ________________1___5 グラスチューブ _______________________4___2 セピアチュール2 ______________________3___5 デジタル領域での修正と編集 __________________5___3 過去の出版物との同時比較 ///////////////4___4___4 テープスピード精度 _____________________3___3 各楽曲毎の記録レベル ____________________3___3 スペクトル _________________________3___2 音色(主観評価) ______________________2___4 印象(主観評価) ______________________2___5 方針の策定 __________________________4___5 リマスタリング _______________________3___6 リマスタリングの方法(用具解説) ///////////5___4___6 リバランス _________________________3___6 (解像度の改善) _____________________5___3 Q&A 音楽表現とのリンク(演奏)神経接続??? ______2___7 PQコードの添付とフォーマット変換 ______________4___2 デジタル的無音とMUTEコマンドの挿入 ___________4___1 フォーマット変換の方法論 __________________4___1 レート変換 ________________________4___2 ビット長変換 _______________________4___2 フルビット解消処理 ///////////////6___4___3 サンプル作成と各権利者からの承認取得 _____________2___4 プレスマスター(CD−R)の作成 _______________3___4 松/竹/梅(プレス会社で行われる顧客ランキング) ______5___1 プレスマスターの物理評価と緒元検証 ______________5___1 巻末付録 冒頭掲載の格言 ///////////////////7 HACOからの訂正要求 (再びアフターディナーと私) 05年4月20日 製品版の変更点 変更に対する私の対応 注 上記の技術度・音楽度に見られる自己評価が、世間一般に言う評価基準とは異なっており、一般のリスナーからは「一体お前は音楽を何と心得るのか」あるいは技術と音楽の定義が不明である、と指摘されそうだ。しかしアフターディナーの「快挙」の本質はこの部分にある。つまり、技術と音楽双方の領域を相互に拡張し、相互に浸食し合う=相入れない双方の哲学的融合の試み、こそアフターディナー(シングルとアルバム・グラスチューブと’82〜’87年までのライブ)の本質である。ポピュラー音楽において、実務的融合は一般化されているが、哲学的融合の試みは一部の現代音楽以外では見受けられない。この部分に於いてアフターディナーは突出しているのであり、また何人も追従できない理由でもある。この点で私は自己の著作を主張するのであり、その手段である私のアレンジや録音や資金確保などは、取るに足らないものと思っている。楽曲や技術を含め素材の一つ一つを考察しても、その痕跡すら見られないところにその完成度の高さがある。 残念なことは今回の出版上のトラブルから上記の「何人」に当事者が含まれていることが露見してしまったことである。 この作文本体の大部分は露見以前に著述されたものであり、「融合浸食部分」に関してはほとんど触れていない。これは当時の制作方針(販売戦略、イメージ戦略)を重視しているためであり、私が自身に課したルールでもあった。しかし今回の新(C)設定(著作権設定)によって私や当時のスタッフは一方的に「解任」され同時に私の守秘義務も消失したと考えられる。その設定が単なる不注意か故意の策略かは重要ではない。 現在「音楽」は重要な局面に直面している。CDが売れないことについて、単なるメディアの転換期ではないか、などとまことしやかに論じられているが、私の研究によれば現状はより深刻で破滅的である。「デス・スパイラル」に落ち込んだ、と言っても過言ではない。この現状は制作者として見過ごすことはできないし、この道義的知的権利の不当行使にも一因があると考えている。 現在私は膨大な量の当時の記録と資料を保有しているが、「音楽の復興」にとって「アフターディナー論」(発表時期未定)としての公開が有効と思っているし、いずれは発掘されることを期待して保有している。もしそれが虚偽であり、あるいは現プロデューサー/著作者を名乗るなら、それをくつがえすだけの反論ができるはずだし、より優れた作品を送り出せるはずだ。それが23年という時間の重みであろう。 これらの指摘・論述が見苦しく「かっこう悪い」と忠告してくれる友人もあるが、そもそもアフターディナーは「師弟の手習いによる、音楽の試み」であり、誤った解釈や権利の運用を正すのは「師としての義務」と考え著述する。 05年5月6日 宇都宮 泰 〈 AFTER DINNER 初期作品のリマスタリングに寄せて 〉 〜リマスタリング論〜 宇都宮 泰 ’05年2月25日 改訂05年4月16日 ☆☆☆ 4月12日付けでHacoから訂正の要求と著作権利関係の主張があったので、訂正の要求に関する部分のみ原文のまま、巻末に掲載します。 改定05年5月6日 ☆☆☆ 4月20日 製品版が手元に届く、が・・・。「その後」を″7″に追加。本編も部分訂正 **** 序 **** 本当のところ世間での私に対する評価はそれほど悪くはないと私は自身思っているが、外野ギャラリーにとっては「イカレポンチ」な「変人」の代表かも知れない。本テキストは私が23年前に独力で築いた音楽観と技術についての回顧録と、今現在行っているその作品に対するさらなるバージョンアップのレポートである。まっとうな道を志す者には励み、あるいは道しるべとして、外野ギャラリーには「究極のイカレポンチ」の称号を頂きたく、ここに著作する。 ☆☆☆☆「正常な美ほどつまらないものはない。異常だからこそ美しいのだが。・・・ ・・(先人が言ってなければ)宇都宮 泰」☆☆☆☆ **** 〈 AFTER DINNER 初期作品のリマスタリングに寄せて 〉 1 私のアフターディナーでの仕事は1988年で終了している。その’88年までの8年間に私がアフターディナーで行った仕事は何だったのだろう。世間的にはアレンジャー、プレーヤーの一人、ブレイン、プロデューサー等様々に揶揄されているが、現実はHacoの先生であり、そのHacoがリーダーとしておさまるアフターディナーというプロジェクトの経営者といったところがそれよりも優先されていた。その中で私が求めていたものとHacoが求めるものは、やがてその食い違いが埋め合わせできる限界を越え、わたしはプロジェクトを放棄することになる。 しかしその8年間に私がプロジェクトに寄与した決定的な要素は、他に類を見ない独自性の高い音楽的完成度と、それを実現するための多くの技術的ブレークスルーであったと自負するところである。少々自信過剰な鼻に付く言いぐさだが、それくらいの自負がなければ世界に冠たる作品など作れないであろう。 さて、本稿では音楽そのものの詳しい解説はほどほどに、且つ技術絡みの問題と、今回のリマスタリングについて記述したい。 * 今回のリマスタリングに至る経緯 先に述べたように’88年以降Hacoサイドとは電話の一本のやりとりもないほど破滅的な状況であるので、今年’05年1月14日に突然再発の計画がメールで届いた時は、それなりの驚きがあった。私自身はいくつかの新たなプロジェクトでの制作をはじめ、自らのソロや活動の必要性から、アフターディナー以降も音楽上の新仮説の提唱や録音制作技術の開発などあいかわらずの日々であったが、その中で自分の手掛けたアフターディナーの制作物が正当な形で流通していないことが気にかかっていたことも事実である。先ず第一に現在流通している″EDITIONS″はマスターとして使用されたテープが少なくともオリジナル・マスターから数えて2世代目以降で、相当劣化した物が使用されていること、第二に私が所有するオリジナルマスターにしたところで’82年当時のアナログレコードをターゲットにしたもので、そのままデジタル化に適した音源とは言えない点である。そう、私は馬鹿なことに’88年に印税及び内容に関する権利を、口頭ではあるが放棄してしまっているために、気が付いた時には″EDITIONS″は既に発売されていたのである。 現在抱えている技術プロジェクト(MUE lab,としての)が丁度アーカイブス絡みの次世代デジタルフォーマットの策定(デフラグメンテーション技術、オリジナル・スーパー・ハイ・レゾリューションのA/D/A変換・・30bit相当・・の開発、専用プロトコル等)であることから、何とも幸運なタイミングであり、試作機の運用にはまたとないチャンスとなった。この再発の企画に対し、1)使用するマスターは私所有の″真のオリジナルマスター″を、2)リマスタリングは私自身で、3)記載されるクレジットは本来あるべき状態に戻すことなどを条件に快諾したことは言うまでもない。 * オリジナル・マスターテープについて 私の主力作品の多くはオリジナルフォーマットで作成されている。その理由は音品質、保存品質絶対主義に基づいている。私自身学校で教鞭を取るくらいなので規格互換性については熟知している。だからこそその弱点や甘さも理解し、極限的性能を得てみたくなる。勝手な言いぐさであるが「男のロマン」ってやつだろうか。無論営業的には要求される通常フォーマットを厳守、納品している。アナログオーディオは互換性さえ無視すれば相当なハイスペックを実現できるものなのである。しかしその尻拭いは自分でしなければならない。例えば当時使用していた主要レコーダーは機能を維持したまま所有し続けなければならないし、テスト・テープは校正を含め定期的に作成しなければならない。義務が生じるのである。 オリジナル・マスターは年代順に記述すると、 シングル盤2曲*** 独国BASF社LGR−30P 1/4インチ幅38cm/sec 2mm/track EQ:NAB 250nwb/m、AKAI−4000Dpro改 ** 納品用テープもNAB 250nwb/m Glass Tube*** 曲により同BASF社LGR−30PとLPR−35CRを使い分けている。 1/4インチ幅38cm/sec 2.6mm/track EQ:∞+35μsec 520nwb/m Pioneer社RT−2022をベースにしたビルドマシン(リニアライザー搭載) ** 納品用コピーはCCIR 520nwb/m track2.6mmに変換 (納品用コピーもテープ品種は曲によって混在) 髪モビールの部屋*** 同LPR−35CR 同上ただしEQ:∞+0μsec ** 納品用コピーはNAB 250nwb/m track2mmに変換 (対米輸出のため。納品用テープ品種はAMPEX#456) となる。BASF社のテープは現在も使用し続けているが、最大の特徴は驚異的保存寿命である。実際に今回20年ぶりに再生したが、転写という厄介な現象以外はまるで昨日の録音物のように良いコンディションであった。保存方法はこのwebにも掲載されている「テープ保管計画」に準拠している。ちなみにLPR−35CRというモデルは磁性体に二酸化クロムを配向バインドした高エネルギーテープで、抜群の高域特性・・(50KHz以上にわたり平坦特性が得られ、今日でも110KHzのバイアス信号が鮮明に再生できる)・・。磁性層も10ミクロン以上あり低域特性も良い(ビデオ用途や固定ヘッドデジタル用途のモデルは磁性層が薄く低域特性がかなり劣悪)が、ベースフィルムが薄いため転写が多く、今回もこれが問題であった。 *今回の作業工程 工程メニューは次のようになるが、原則として文章も順に準ずる 1)テープコンディション調査 2)レコーダーの整備とおおまかなキャリブレーション(後述) 3)テープ再生+本キャリブレーション+A/D変換(デジタル化)+検証 4)デジタル領域での修正+編集 4.5)過去の出版物との同時比較 5)リマスタリング(表現としての色付け+PQコード位置の決定 +bit数とレートの変換) 6)サンプル作成・送付および各権利者からの承認取得 7)プレスマスター作成 8)プレスマスターの物理評価と緒元検証 9)納品 10)資料作成およびレポート作成(この文章) * 再生という作業 私の著作に「マスタリング論」があるが、合わせて参照されたい。 まずリ・マスターする以前に行わなければならない作業に、オリジナルマスターの「完全な再生」がある。完全な再生とは、そのオリジナルマスターに含まれる「情報」を「最大限に引き出す」である。そのためには先ず録音時のレコーダーコンディションの正確な再現が必要で、最も難易度が高くそれゆえ信用の置けない他人には任せることはできない重要なプロセスである。再現しなければならないパラメーターを列記すると、ヘッドタイプ(ヘッド表面形状・・コンター効果の再現、設定ギャップ長・・高域位相特性/飽和特性、材質、などがあるため、常時代表的ヘッドは在庫)、テープ・パス、テープ・スピード、ヘッドアジマス(直接、高域振幅特性を決定する最も重要なパラメータ)ヘッド高さ、ヘッドあおり、ヘッド巻き付き角、テイクアップ・テンション、バック・テンションなどのメカニカル調整と、再生レベル、再生高域EQ、同低域EQ、それらのトラック対称性などの電気系調整がある。 これらを一般的にはテープロール冒頭に録音された信号音を手掛かりに再現するのであるが、今回はより完全な再生を目指すことから音楽本編からもデータ収拾を行った。当時はこれらの調整に米国Sound Technorogy社ST−1500Aを用いていたが、(現在米ST社はハード製品からソフト製品へ移行。軍用にも使用される高性能FFTソフトが有名。仕事先でライセンスも取得、愛用中)現在は所有していないため、全て手作業で行った。結果は発売されたCDをお聴きいただきたい。現在多くのリマスター盤が発売されているが、本当にちゃんとしたテープ再生をしているのか疑問なものが、とくに国内盤に多い。 仮にこの作業・・・テープパラメーターの再現+再生−−−−A/D変換まで・・・が手抜きであるなら、エントロピーの増大則からもろくなリマスターができないことは明白である。どれだけPCアプリケーションやプラグインを用いても、一度失われた情報は二度と復活できない。 今回のテープ再生では、その保存が申し分ないくらい完璧であったことから、パラメータの再現とその検証程度で(と言っても、20分テープ一本で丸一日かかる)済むが、ラボの業務として持ち込まれるテープの多くは保存状態が悪く、目視できるカビの発生や多くはバインダーが劣化しており、場合によっては磁性体の再度焼き付け、カレンダー処理などの面倒なプロセスが必要となる。ポップスなどのマスター復旧などではその多くがひどいドロップアウトや曲冒頭部分の磁性体欠落などがあり、これらは当時販売されていたレコード盤から音を拾いあげ、欠落部分に貼り付ける作業が必要となる。私が手掛けたもので現在入手可能なCDの一例として、トクマジャパン社発TKCA−30336″少年ナイフ″「少年ナイフ」に含まれる″ミラクルズ″と、MCAビクター社発MVCD−18001″少年ナイフ BURNING FARM″の中の″ミラクルズ″を挙げる。前者は非復旧処理、後者は前述の方法で私が復旧処理を行った。前者では曲冒頭が約2秒にわたり大きく欠落、その後も曲中に深刻なドロップアウトが数十ヶ所ある。発売後、アルバム冒頭曲であるこの曲がなぜか3曲目に移動していることからバンドメンバーが気付き発覚。その後バンド移籍に伴い復旧が計画されたが結局MCAから私のラボに持ち込まれた。その結果、修復後発売されたものが後者である。 無論このようなダメージがある場合、ノーダメージのテープに比べ音情報の抽出はより困難となる。逆に言えばノーダメージならそれ相応の「音」が出なければ手抜きということになる。 * デジタル録音レベル調整 デジタル化するためにはA/Dコンバータという機能回路群(現在では1チップ化されており、完全にブラックボックス扱いできるが)を用いる。単純に機能を考えると、とにかくA/Dコンバータにアナログ信号を入力すれば、機械的にデジタル化され出力される、と認識できる。しかし現実にはここにも「最適値」が存在し、それより高レベルでも低レベルでも情報量の損失が増大する。一般的にはフルビット直前(クリップ寸前のレベル)時が「最適値」とされる。最適値よりも低いレベルでは使用されるビット数が減り、結果として解像度が低下。その度合は6dB低下する毎に1ビット損失、と概算できる。最適値を超えると即ちオーバーレベル=歪みの発生、となる。 従ってデジタル化する際には、その録音レベルの適不適によって最終結果が左右され、また一度生じた損失は原則復旧不能である。つまり録音レベル調整はデジタル領域で行うことは問題があり、アナログ領域でレベル調整を「完成」する必要がある。 * デジタル録音レベル調整 2 (シンメトリー保証) 今回L/Rチャンネル間のシンメトリー(対象性/同一性)を保証するために、ハードウェア追加を行った。従来シンメトリー調整にはオシロスコープによるリサージュや2針メータあるいはNULL表示メーターを用いているが、現在私のラボでは新規に高解像度のコンバータ開発を手掛けている関係もあり、同時に「音楽を聴覚に取り戻す啓蒙」活動を展開中であったりすることから、「聴覚型のシンメトリー保証」を行うハードを試作。原理は簡単で、D/Aコンバータ出力から直接L−Rの出力を取り出せるように設計したものである。センターモノ成分(L=R)が消えてなくなれば、そこがベスト状態。(しばしばリサージュやメータ読みの結果と一致しない。) 実際のほとんどの作業は、オリジナルデータ(30bit相当)、編集およびリマスターデータ(24bit)、と作業工程の多くはハイビット領域で行われるが、最終的には44.1KHz16bitにレートおよびビット変換されるため、その変換後の音について保証ができていなければ何にもならない。つまり、作業はハイビットで行いながらモニターは常時16bitで実行できなければ「ああー、オリジナルはいい音なのになぁー」と嘆かなければならなくなる。そのためのハードである。(後述するが、今回はより聴覚型の作業に移行するための工夫が多い。現代の(とくにPCベースの作業の多くは聴覚型ではなく視覚型)音楽品質の低下の原因が、この聴覚型作業離れにあると私は考えている、が、それゆえの落とし穴も多い・・・) ここからは復旧作業の順に記述していきたい。 〈髪モビールの部屋〉 この曲は今回のボーナストラックとのことであるが、中期アフターディナーを代表する曲の一つである。スタジオ録音版はビル・ラズウェルのレーベルでフレッド・フリス制作のアルバム″Wellcome to Dreamland″に収録される為に、フレッド・フリス自身を迎え録音されたものである。楽曲そのものは既にライブで数回演奏されており、録音に用いられたガイド・トラックもライブの録音物を用いている。 しかしフリス滞在中には完全なミックスが出来ず、フリス帰国後に歌といくつかのパートの修正を経て完成に至っている。今回発掘したテープの箱にも″修正版″のクレジットがある。 ところがここで問題が発生する。それはフリス帰国後にアフターディナーは東京公演があり、このときにマスターレコーダーを公演に持ち込んでいたのであるが、関西と関東は電源周波数が異なるが、公演時仕様変更したまま、帰阪後完全に関西仕様に戻さずにマスター制作を行ってしまったのである。具体的に仕様変更はプーリーの変更と起動コンデンサの切り替えの2点が必要なのに、プーリー変更しかせず起動コンデンサは関東仕様のままであった。予想される結果はキャプスタン・モータのトルク不足からテープ速度が数%遅くなることであるが、実際の影響はもっと深刻であった。それはリール巻き量の影響が速度に現れていることで、再現は同じ巻き量、電圧などの複雑なパラメータの組合せとなってしまっていたが、締切りも迫っており、やむなく速度微調整でその場は切り抜けている。結果米国発売されたアルバムは完全に納得できるものにはならなかった。このことは現在に至るまで鮮明に記憶しているくらいの気がかりで、それも今回の完全再現で報われることになる。 なぜそのように気がかりか、あるいは速度微調整ではなぜ切り抜けられなかったのかは、この曲の音楽的特徴にその原因がある。グラスチューブは、その基準ピッチが3種類場所に応じて切り変わることは有名であるが、この曲では複数の基準ピッチが並列出現し、また綱渡りのような微妙な「間」が重要な要素として盛り込まれており、それらが効果的「美」に結び付くのは極めてクリティカルな時間精度(つまりテープ速度)によって実現されるものであったからだ。もし貴方がピッチ(速度)調整機能の付いたCDプレーヤを持っているならすぐに確認出来るであろう。つまり完全版は今回初なのである。 録音技術的にもっと深刻なのは、この時期マスターレコーダーをライブに持ち出していたことが災いしたのか、そのマスターレコーダーのコンディションそのものが不調で、今回推定できた内容では、バイアスオシレーターが異常に不安定であったようである。当時MUEのマスターレコーダーには試験的に″リニアライザー″と呼ばれる回路が組み込まれていた。この回路はアナログテープ特有の非直線性を補正することを目的とし、その内容は音声波形を直接折れ線補正する部分と、音声に含まれる高域成分の割合に応じてバイアス量を自動調整する、いわゆるアクティブ・バイアスの両方を搭載していた。このバイアス発振回路が何等かの原因で不安定になっていたようで、その結果がこの曲にみられる「歪み」となっている。リニアライザー変じてノンリニアライザーとなってしまっている。今日の技術をもってしても補正できない残念な結果である。 巷では名曲の形容も付けられてはいるが、演奏や歌の集中も甘く、そのわりに曲に組み込もうとしたアイディアの難易度も高く、逆に言えば当時の忙しさが伺える。 後述するが、これらの問題からこの曲は30ヶ所以上に分割しリマスターされた。 * シングル (After Dinner以下AD、夜明けのシンバル) この2曲はアフターディナーの最初期の録音で、機材の絶対量が不足で、徹底したキャリブレーション(調整・チューニング)は施してあるものの、MTRは大阪音大の植野氏から借りたTEAC社80−8、マスターレコーダーは簡易編集用に用いていたAKAI社4000Dpro、リバーブは学生のころ自作した鉄板式(本当はステンレス板!)、ミキサーも8chの自作ラインミキサーのみというありさまであった。(レコーダー以外はそのまま拡張改良して後々まで使われるのであるが) 〈 AFTER DINNER 初期作品のリマスタリングに寄せて 〉 2 宇都宮 泰 〈After Dinner(曲名)〉 シングルのクレジットにも書かれているが、ADは春日大社若宮おん祭りのフィールド録音やその他の楽器音(バイオリンは、この演奏者は一音ボウイングしかできない超初心者)をテープに録音し、それを素材毎に断片化。スコアに従ってスプライシングで再構築することで楽曲の基本部分が作られている。いわばテープコンポジションによる骨格である。その基本部分に歌や演奏を重ねることで完成するのであるが、単なるコンポジションではなく、リズムやハーモニーがトリッキーに交錯する・・・基本的には和風頭強拍なのであるが、時に裏打ち、1/4拍ズレ、もとに復活、など後の演奏のことなどおかまいなしに、ひたすらスプライシング快感を探求。あげく4mm刻みのタイムストレッチが最後の一打・・・またこの骨格に他演奏パートのガイドとしての機能も持たせてある。後のライブではこのコンポジションテープが演奏とシンクロして流される。(注 テープに演奏を合わせるのではなく、テープは曲の中途からシンクロスタート。) 曲中間部はいささか唐突であるが、前半と後半のジョイントとしての機能と、前半の音楽的調和のはるか太古のイントロ、つまり仕切り直しと言うか、真のイントロなのか。歴史は繰り返すのである。つまり曲冒頭部分Hacoがラジカセをスタートさせ、勢いよくこちらに突っ込んでくる、と同時に曲がスタートするが、こちらが暫定的冒頭とも言える。後述するが、今回のリマスターでは、この冒頭部分は一旦本編から切り離し独立処理(ダイナミックレンジ、レゾリューションの復旧など・・・これによりラジカセをHacoが手持ちで走って来る=歩幅に合わせたワウ・フラッターがはっきり聴こえるようになった)の後、元の場所に復元された。 〈夜明けのシンバル〉 今回のリマスターの特徴の一つは、アナログテープであるオリジナルマスターを、より高精度に再生することである。(以下****までは一般論。アフターディナーの真のオリジナルマスターは独自のキャリブレーションを持つが、それとて過去の私から見て今日の私が再生できないのでは話にならない。従って同様に再生互換性は重要である。) アナログの時代、最初にプロ・エンジニアリングで習得しなければならないことの一つがマシン・キャリブレーション(機材の校正・・・・再生時も録音時もテープ毎に常に調整する必要がある)であるが、これには明確な目的がある。それは単に良い音を得ることではなく、それよりも上位にある「再生互換性」を確保することである。実はこのあたりにプロフェッショナルとコンシュマー・オーディオ(アマチュアあるいは楽しみとしてのオーディオ)の違いがある。つまりAというスタジオで録音されたテープはBスタジオでも実用上完全に再生できなければならない。記録フォーマットさえ同じならとりあえず音くらいはでるだろうが、このキャリブレーションが不完全であると「正しい情報、あるいは情報量」では再生されない。アナログテープの冒頭部分に1KHzや10KHzの正弦波が録音されているのは、それをたよりに再生時に再生機のコンディションをキャリブレーションするためのものである。具体的には1KHzで再生レベルと再生ヘッドアジマスの粗調整を、10KHzでアジマス本調整と再生高域イコライザーを、さらにこれを数回繰り返し合わせこむ。互いに影響を及ぼし合うため一度では合わないのである。**** しかしこの1KHz/10KHzによるキャリブレーションは「アナログレコード実用上の完全」であり、少なくとも私の求める「上限の完全」とは程遠い。(とは言え現在のデジタル機材の多くでも、この1KHz/10KHzを用いたテストすらパスしない。10KHzで約90度の位相差=1サンプルのずれ 程度はザラにみられる。当時そのような調整をした日には私の太股に師匠の膝蹴りが炸裂することは必至であった)「上限の完全」とは、センター定位=L/Rチャンネルに同相同レベルのホワイトノイズ(仮に)が、L−Rしたときに完全にキャンセルするような調整状態を言う。これを実現するには1KHz/10KHzなどのピンポイントではなく、全帯域でレベル・位相ともにそれぞれのチャンネルでマッチさせなければならない。しかし当時の出版環境であるアナログレコードはリニア・トラッキングでカッティングされていながら、再生は二軸アームで行われ、これだけでもうその努力は無意味化してしまう。またカッティングマシン付属のテープ再生装置の特性と、録音スタジオの録音特性を一致させることも困難と言わざるを得ない。例えば10KHzを一致させると15KHzでは+−0.5〜1dB程度かそれ以上の誤差が生じる等。 この原因はその特性を左右するパラメーターが、ヘッドの材質から表面形状、バイアス周波数、録音再生イコライザーの回路形式におよぶ極めて多岐にわたるものであるためだ。従って完全な再生には、1)統一された録音再生系列を持ち、2)正しくキャリブレーションがなされたシステム、での運用が必要不可欠なのである。とりあえず「実用上完全」(ただしアナログレコードグレードの)を実現するには2)のみによってかなえられていたのである。1)を実現するには録音に使用されたレコーダーをキャリブレーションし、使用することが最良の方法となる。 デジタルに於いてもDATならば、その磁気信号記録再生レベルではアナログであり、使用されるテープのロットや銘柄で相当なバラつきがある。(アナログ録音同様)しかし各種の暗号化およびエラー訂正(変調と復調と言っても良い)により、バイナリーコードレベルでデータの再現が行われているにすぎない・・・・(バイナリーコードレベルで同一ならば音も同一という考え方もあるが、厳密にはジッター等の時間軸情報が含まれていない。また音が変化するファクターの解析も現状では不完全。極論するなら録音時にジッタが含まれるなら、再生時にもそのジッタが再現されなければならない。ジッタすら音を左右する有用な「情報」なのである。詳しくは私の著作「マスタリング論」および「HDR考」を参照)・・・・)。CDやCD−Rでも同様にメディア上の光アナログレベルでは相当なバラつきがあるが、同じく強力な変調/復調の技術によりバイナリーレベルでの同一性が確保される。ハードディスクユニットの場合は、そのプラッター(メディアである円盤)と駆動する回路基板が切り離せないセットになっていて、回路基盤がそのバラつきを吸収している。 音情報は主に周波数帯域とダイナミックレンジに大別できるが、概念的に総情報量はその帯域とダイナミックレンジの積で表される・・(無論先に述べた時間軸情報(ゆらぎを含め)もあるが、認知論的に人間は時間軸を思考することが弱く、しばしば見落とす。私の他の著作で論証。簡潔に要約すると、楽譜も台本も物理測定も全て横軸は時間軸ではないか?これらの視覚記録物は全て思考の弱点を補うために考案されたものと考えられる。コンピュータ・ベース録音ソフトが好まれるのもこのあたりに原因がある。しかし聴覚情報を目で見ても聴いたことにはならないことを忘れてしまうのも人間だ。これも思考の弱点か?)・・ 。その積で表される「面積」の広さが全情報ということになるが、この点に於いてデジタルもアナログもさほどの差は無い。アナログ直接録音とデジタル記録の根本的違いは情報の取扱い方の違い、つまり情報としての音をそのままの帯域/ダイナミックスのかたちでメディアに転送記録するか、変調によりダイナミックスを帯域に変換し、高周波信号として一元化、さらに変調を施しメディアに記録するのがデジタルであると言える。・・・(変調・暗号化が必要なのは「エントロピーの増大」に対抗するためである。)・・・ デジタルオーディオの是非はまさにこの一元化についての議論とも言えるが、少なくともアナログ直接記録に於ける各種キャリブレーションが省略可能になったことだけは事実である。(ただしその使用するデジタルフォーマットが正常に運用されていれば、の話しであるが。私がPCベースに懐疑的で、依然一部以外採用せず専用ハードを多用している理由はこのあたりにある。)長々と記述したが、テープ冒頭のキャリブレーション信号にはこれくらいの意味と重みがある。 ここまで要約すると1KHz/10KHzの規制信号によるキャリブレーションで実用上の「完全」は得られてもそれは旧世代の話しで、現在の先端デジタルに対応できているとは言えないのである。私が手掛けるリマスター/マスタリング/アーカイブスでは常にそれ以上を目指しているが、今回は自ら手掛けた作品であり、より高度の再現を目指した。なぜなら、オリジナルマスターを作成した唯一のレコーダーが手元にあるからだ。ここで「究極の完全」を私がやらなければ、他の何者もやることはできない。 今回のオリジナルマスターは、そのアレンジもミックスもマスターも全て私が手掛けたものであるので、どのパートの何の部分がセンターモノ定位で、何の部分が何度の位相差(移相処理)か明確に記憶しているので、それを手掛かりに完全再生を目指した。(それ以外に当時のテストテープ等の資料や測定データも手掛かりとして使用)その結果現在の制作物に見劣りしないデジタル化が実現した。(後述Glass Tubeは全ての資料・データが残っているが、シングル2曲はレコーダーが違う上、校正データが残っていないしマスターレコーダーも手元に無いため、述べ3日・・4度作業をやり直した) 例えば″夜明けのシンバル″では、この楽曲は曲調からも分かるように軍楽隊がイメージされた「ななめ45度」に視線のあるオチャメな仕上げになっている。・・・(実際マーチングロールのスネアドラム・パートは元陸上自衛隊軍楽隊所属の奏者で迫撃砲手、伊藤雅治氏を起用)・・・そこでミックスダウン時に軍楽隊″フォーメーション″を想定し左右のチャンネル間に音像が出現するように設定してある。オープニングフェードインは完全なセンターモノ(L=R同相同レベル、物理モノ)であり、目の前まで近づいたときにフォーメーションチェンジし、一旦横方向に並ぶように設定されている。その後も様々にフォーメーションは変化していくが、所々で出てくるセンターモノが手掛かりとなる。つまりL−Rを行ったとき(実際にはL+(−R))左右の信号はキャンセルし合い、無音にならなければならない。 実際に今回校正後の最終微調整はセンターモノ成分がL−Rで完全に打ち消しが起こるように各パラメーターを合わせ込んである。 一般リスナーがL−Rを楽しむには、70年代にブライアン・イーノが提唱していた、簡易3チャンネルサラウンド・・(L/R両スピーカーのそれぞれの+端子の間にリア・チャンネルスピーカの+と−を接続する方法・・・=L−R)・・やドルビー方式″プロロジック・デコード″のリア・チャンネルを聴く方法がある。ミキサー等の録音機材がある場合やセンターモノをキャンセルするエフェクターがある場合にはより容易であろう。 オモチャの軍楽隊のフォーメーションであるので、キビキビ動いているものの、やはり移動には時間がかかる。その時間がかかる様子まで設定・組み込まれている様子を楽しんでいただきたいものだ・・・・などと無理難題言わずとも「精度」を復旧した信号の音はそれだけで素晴らしい。 因に歌の2番のみ私の歌が入っているが、実は私の歌は全編にわたり録音され、しかも非公式にではあるがその全編に渡り私の歌入りのミックスも存在。一部関係者の手には渡っているのだがそのマスターは紛失。 ドラム・キットの音作りは流行に敏感で、その音を聴くだけで制作時代が分かるとも言われるが、アフターディナーの録音物の中で、″夜明けのシンバル″のみその耳当たりがいわゆるポップスだ。これはドラム・キット・トータルとベースをキー・リンクしゲート+コンプレッサー処理していることに原因があるが、これは当時のマルチ野郎達(クロスオーバーやらAORかぶれの)に向けられたものだ。彼らはどこへ行ったのだろう。 * アルバム −Glass Tube− このアルバムではさらに高度な位相制御技術・・・・・・・・ (当時、あー、現在でも位相差を積極的にミックスや制作に用いることは業界では忌み嫌われる。アナログレコードの時代には位相差のある信号をカッティングすると溝の深さ方向の振幅となり、針飛びや収録時間の短縮につながる。・・・というのもアナログレコードのステレオ化はもともとMONOフォーマットを拡張したもので、ステレオ化とはいうものの基本はセンターモノであり、溝はセンターモノのときに深さ一定かつ横方向に、位相差180度(正確には逆極性)で横方向振幅無し、かつ深さ方向に刻まれる。当時のGlass Tubeやシングルのレコードを所有している方は是非盤面を眺めて欲しい。肉眼でそのことが見えるはずだ。とくに国内盤ではJISの限界いっぱいにのたくり、かつ表面の平面精度すら失われていることが確認出来る。)・・・・・が使用されていることから、33回転フォーマットを断念、45回転で出版されている。実際に国内盤はビクター青山スタジオで私立ち合いのもと、現在ではマスタリングの神様(同スタジオ小島氏談)とも崇められる小鐵氏によって、英国盤はクリス・カトラーにオーダーの結果世界的に最も評価の高いニンバス社(エンジニア不明)で制作されている。今回のリマスター工程(−−この文章のこの部分はリマスター工程ではなく単なる高精度再生とデジタル化についてのもの・・・−−)の直前に、過去の主要出版物をMTR上に同条件(スピードのみ調整/調整数値を記録)で各トラックに並べ、含まれるスペクトル、音色、レベル等を評価(今まで行っていなかった・・・)したが、驚くべきことに当時の品質は現在のCDを凌ぐほどの(ただしスクラッチ・ノイズなどはあるが)ものがあるという結論に至ったことである。明らかに現在のテクノロジーが優勢なのは33回転のシングルのみであった。この作業・評価はリマスター直前で行なったもので、各オリジナルマスターのデジタル化の工程では知る由もなかったが、当時それら2者の45回転のレコードの品質やその音を聴くリスナーの受けた衝撃は私の想像を越えるものだったかもしれない。逆に言えば今回それら最高峰の技術には容易には勝てないのである。 前項で記述したように今回のリマスターは、リマスター以前に究極の完全再生を行い今後10〜20年程度通用するデジタル化を果たすことである。前述した2者、″髪モビールの部屋″とシングル2曲に比べるとGlass Tubeは最も時間的余裕のある時期に制作されたものであるため、マシンコンディションや技術データも豊富で、その再生作業は極めて順調であった。過去の出版物では甘かった精度も容易に高精度化できた。例えばタイトル曲グラスチューブの歌の1番Aメロディーは母音と子音が個別に録音されており、母音はセンターモノ、子音は逆極性(通称、逆相)でミックスされている。再生時にモノで再生すると、子音のみキャンセル、消失するように作られているが、過去のどの出版物でも実現されていない。完全にキャンセルすること自体にあまり重要な意味は無いが、楽曲全体にその曖昧さが存在することが問題なのである。今回、この子音キャンセルはおろか隅々にいたるまで精度を復旧した後にデジタル化を行った。これによって復活される音情報は筆舌に尽くし難いものがある。一言であらわすなら″きちんとしている″のである。とても幸福である。 読者の中には、そのようなレベルや時差、位相差など現在のデジタル技術をもってすればパソコン上で容易に補正出来るのではないか?と考える者もいるかとは思うが、現実には確かにある程度修正は可能である。しかし多くの場合補正を一つ入れる毎に確実に劣化が起こり最終的にはまったく使い物にならないサウンドになってしまう。デジタルに於いても加工に関してはエントロピーの増大則が成り立つのである。当たり前の事だ!! −−例えばfs=48KHz1サンプル分で10KHzの信号に約90度の位相差が生じる。つまりタイムアライメントを修正するだけで少なくともfs48KHzの50〜100倍程度(fs=2400KHz〜4800KHz!)のサンプリング周波数か、あるいは同等の処理能力が必要。現実のデジタルはこれまた時間軸に弱いのである。世間一般の常識とはかなり掛け離れている。−− もし劣化が分からないならそれはそのソースがマイクアレンジを含め、既に相当劣化しているか、耳が悪いかのどちらかである。 アナログ領域のキャリブレーションも同様にエントロピー増大ではないのかというツッコミは完全に論破される。完全なキャリブレーションとはエントロピーの「非増大」のためのものなのである。オリジナルマスターに含まれるであろう情報量(完全に取り出せるか否かは別として)をエントロピー0とすると、キャリブレーションとは直接エントロピー0に接近する唯一の作業と言える。なぜならそれが本来あるべき状態にするための「未知の要素をも包含した」鍵と錠前の関係にあるからだ。いい加減なデジタル化を行ってしまうとその時点でエントロピーは増大、後の作業ではエントロピー逆行を余儀なくされる。つまり逆行は物理的に不可能であることから、いい加減なデジタル化を行った時点で既に〈「負け」〉が決定しているのである・・・・(余談ではあるが「マイク立て」も同じである。マルチ録音専門の連中を見ていて腹が立つのは、いい加減にマイクを立てておいて、後からイコライザーで補正しようとするからだ。補正なんか出来るわけない。とは言うものの現在のポップスはそうやって進化してきたもののようであるが。・・因に私が手掛けたアフターディナーの全スタジオ録音は、低域の帯域制限以外全パート完全なノーイコライザーである。しかもマイクのほとんどはダイナミックとリボンマイクである。これによりマスタリングが難しくなっている)・・・・。感性による音造りがどうのとか、新型機やプラグインの**プロセスがスゴイとかゴタクを並べてもゴミはゴミだ。・・(ものすごい言い方だが、そう考えていなければ根気の必要なこの作業には耐えられない・・・・・少なくとも私は、他人がこの程度だから自分もこの程度で良い、という論法を持たない。これにより自分にとっての自分自身の価値を維持している。私は正しいアーティストでありたい!!!)・・近年の欧米のリマスター成功例を見ても、オリジナル再生技術が全体の7〜8割、残りが色付けである。・・いや、そもそも保存状態の良いマスターの発掘・発見がそれよりも重要だ・・・つまりエントロピー0に如何に近づくかが最も重要なことなのである。創作はそのあとだ。調整データや測定値を残しておくことは大変な手掛かりとなる。デジタルに於いてはこの部分がある程度自動化されただけで(エラー訂正状況も監視できないようでは−−−−どうしようもないが)、デジタルは音そのものの良し悪しとはとは何の関係も無いのだが、宗教化した″デジタル″信者や、これらの再生技術を持たない者にはそうは考えられないのだろう。ならば考えてみて欲しい。世界的に最も評価の高いマスタリングスタジオはその中核のほとんどがアナログで構成されている。前述したビクター青山マスタリングセンターなど現在でも、デジタル入稿してもアナログ処理だ。(担当者によって異なるそうだが) 〈 AFTER DINNER 初期作品のリマスタリングに寄せて 〉 3 宇都宮 泰 〈セピアチュール1〉 アルバム″Glass Tube″の各楽曲は単なる寄せ集めでは無く、その表現内容やアレンジに至るまで構造化し配置されている。元々″セピアチュール″は肩の力の抜けた少女視観的ニヒリズムに満ちた単独曲であったが、このアルバムでは導入部と終焉を受け持つ、日常と音楽世界の接点として機能するようにアレンジされたものである。 〈セピアチュール1〉の冒頭と〈同名2〉のエンディングはワイヤーレコーダーという古い録音装置に一度録音したものを、再生しマイクロフォンで収音しマルチテープに貼り付け接続したものである。歌詞で言えば12小節「〜影たちが」までがワイヤーで、次の13小節「キィーコ、キィーコ、キィーコ」が通常のマルチ録音。14小節からは楽器編成やミックス手法がさらに手が込み、位相調整を伴った立体的音像を持つ″スーパーなステレオ″となり以降そのポテンシャルはセピアチュール2の終曲まで持続。つまり″1″の冒頭14小節は「アフターディナーワールド」の音空間世界を宣言する重要な演出なのである。この3段階びっくり箱によりオーディエンスはたちどころに「世界」に引き込まれるのである(期待を込めて)。その世界が終了し現実に戻れるのは無論〈セピア〜2〉の後である。時間軸上において「シンメトリー」な形になっている。 今回リマスターを行うにあたり、オリジナルマスターがLPレコード向けのミックスであることから、本来はマルチテープを発掘、ミックスをやりなおすべきなのであるが、様々な制約から実現できなかった。しかしオリジナルマスターに後述する方法、リマスター/リバランスを施すことで、ある程度の「デジタル化」(16bitデジタル、CD向けという意味)は可能と判断、実施したものが、今回の作業概要である。 さてこの冒頭部分であるが、3段階びっくり箱部分はダイナミックス、プレゼンスともに調整し直した。(詳細は後述) マニアックなリスナーは周知の事と思うが、このセピアチュール1のアレンジは当時の国内版だけのもので、リコメンデッド版は通称「ボサノバ版」が使われている。しかし、アルバムの演出機能上はこちらのワイヤーレコーダー版が正しい。逆にこの曲がアルバム冒頭に無い場合(リコメンデッド版のこと)、ワイヤーレコーダー版の使用は不適切で、そのためにわざわざGlass Tubeの録音期間が終わった後に「ボサノバ版」は制作された。 アルバムの構造に戻るが、このような冒頭曲と終曲のことを″Shell=貝殻″と呼んでいる。私の演出ではよく用いる。 ワイヤーレコーダーの録音には唯一コンデンサーマイク(SONY C−37A)が使用された。 〈加速度のエチュード/ソニャドール〉 第2曲と3曲はHacoのソロ・ワークで、そもそもは彼女の専門学校での課題作品である。〈加速度の〜〉は卒業判定用課題としてHacoが制作したものを、アルバム用にミックスのみ私がやり直したものである。今回さらに手を入れることとなったが、Hacoサイドからは予想通り「指摘」があった。 この第2曲と3曲はその他の曲と若干毛色が異なっているが、それはHacoの個人的内面がより大きく表れているためである。オリジナル制作時期は第3曲〈ソニャ〜〉が6ヶ月ほど早い。それぞれテープ・スプライシングあるいはコンポジションとして制作されたものであるが、第2曲の方が技巧的により高度化していることがわかる。 〈お嬢さんとシャベル〉 悪名高き「バイオ・バイノーラル」で制作された楽曲である。本人によれば原曲があるのだそうだが、歌詞はオリジナルである。録音はドラムス以外は全て野外で同時に録音されたもので、参加者の中には現代美術分野で著名な藤本由紀夫氏も参加していたりする。 演奏テイクは全部で5テイクあるが、この曲に関しては単に演奏がうまくできているだけでは不合格で、演奏者それぞれの位置関係や動き、さらには偶然生じる飛行機の通過や虫の声などを総合的に判断し採用分が決定された。録音場所は大阪芸術大学内の美術棟に挟まれた独特の湾曲した中庭で、この場所は「紅花林」の楽曲でも使用された。 「バイオ・バイノーラル」の詳細は割愛するが、いわゆるバイノーラル(双耳聴)、ヘッドフォン再生を主眼に置いた、そのために特化した録音方式の一種である。この方式は録音の極初期から存在し、「論理」的に考えると最も優秀な「あたかもその録音現場に居るかのような」再生音が得られられそうな録音方式である。しかし論理(思考・・思わく)と現実はしばしば一致せず、この方式も優秀な理論武装のわりに情けない結果しかもたらせない。最も重大な欠陥の一つは頭外定位、つまり音は頭の外からやってくるものなのに、頭の中で鳴っているように聴こえ、しかも後ろ方向から聴こえることであろう。前後判定もままならない。 この録音にはしばしばダミーヘッドと呼ばれる、人の頭部を模した造形物の耳位置にマイクロフォン・カプセルを配置したマイクが用いられるが、メーカーや研究者の多くはその造形や配置あるいは物理静特性の改良に心を奪われている。録音制作や音楽創作を志す者として私も学生時代多くの文献や試作報告、あるいは自ら試作も片手間に行っていたが、そこから得た私の結論は自分でも震撼するものであった。 それは、生耳であっても長時間頭部を固定しているとバイノーラルと同様、前後判定や頭外定位が弱まり、いわゆるバイノーラルの問題点同様の症状を呈する、というものであった。なぜ震撼したかと言うと、これが意味するところ、いままでの録音テクノロジーはある意味、全否定されるからである。頭部造形や材質、カプセルの配置は決定的要因ではなさそうなのである。 つまり我々は「動きながら」聴くことで音空間を正しく認知しているのである。薄々その予感はあった。多くの哺乳類の内耳は、平衡感覚のセンサーである半規管と聴覚の末梢である蝸牛管が発生学的に近似で、平衡感覚と聴覚の感覚情報処理系の関連性を暗示していたからである。実際にそれを裏付ける実験と、サンプル作成を経て「実用化」したものが、このバイオ・バイノーラルである。もともとバイノーラルという論理自体には聴こえているものの中身に興味はなく、どんなカタチで聴いているか、というマクロな視点に立った論理なので、その内訳の音成分については語らない。このあたりに思考の落とし穴があるのではないか。 私の考案したバイオ・バイノーラルにしたところで、「動き」を取り入れたに過ぎず、その中身である音がなぜ有効なのか、現在も仮説とその検証が進行中で、後の作品″ジョン&ウツノミア″ではさらに改良され、サイオ・バイノーラルと命名してある。 このバイオ・バイノーラルの当時、「頭部の動き」にヒントがあることは突き止めていたが、それを「録音」というメディアの中でどのように取り扱えばよいのか思案に暮れ、あげく考案した方法があの「首振り鑑賞」である。当時ハマリ込んでいた思考の落とし穴は「動きの標準化」で、それ以上は思い及ばなかった。(後に条件付きではあるが、標準化の必要が不要であることを発見・・・サイオ・バイノーラルに発展) このバイノーラル・ファミリーに於いて音の中身については扱わない論理性があることは先に述べたが、私が考案した改良型バイノーラルにおいても同様で、音そのものについてはマクロに扱っている。従ってこの録音物に要求される物理特性は考えられる最大限のワクを用意する必要がある。少なくとも位相、タイムアライメント、レベル等の何がどのように影響を及ぼすのか、従来の尺度が当てはまらない上、明らかにそれらの左右シンメトリーが重要であることは疑う余地がないからだ。 今回の「完全な再生」でもこのシンメトリーに関して最大限の努力と結果を得ることに務め、私自身十分に納得できる高精度のデジタル化が達成できたと自負している。私の仮説が妄想か真実かはこの曲を聴けば十分に判断できるものと確信している。 明確な前後識別が感じられるなら、それだけで私の「勝ち」なのである。 〈desert/dessert〉 このセッションは一言で表すなら、タイトル曲であるグラスチューブのクッション(緩衝帯)である。つまりグラスチューブという楽曲は「構造型音楽の極致」であり、人知の限りを尽くした(願望として)物として位置付け制作したものであり、そこへ至る、あるいはそれが終わった部分とは対照的でなければならない。つまり演奏者の思わくが不統一で、いつ始まりいつ終わるのか不明確でなければならない。そのためのセッションを企画し録音したものを、不明確な編集でクッションとした。これに対してリコメンデッド版はグラスチューブの後のみに、しかも明確な終点を持たせてある。 アルバム・グラスチューブとリコメンデッド版ではアルバムの構造、階層化が全く異なっており、印象も相当異なるが、本来の意味や機能からはアルバム・グラスチューブが正しい。 〈グラスチューブ〉 タイトル曲。ここまで記述したようにこの曲はこのアルバムのコアであり中心である。それだけに込められた思いや技術も半端なものではない。既にこの楽曲に関してはある程度「マーキー誌」に解説(現在はこのwebにも掲載)したので、詳細は割愛したい。 今回の「完全な再生」を確認する指標としてもこの楽曲は使い易い。先に述べたが、歌の1番の母音と子音は独立して録音されているが、ミックスの過程で母音はセンターモノに、子音はL/Rチャンネル間で逆極性(通称、逆相)に加工されている。同レベルで逆極性であるならL+R(つまりモノ)で再生したときにL/R2つのチャンネルの信号はお互いに打ち消し合い消滅するように作ったはずなのであるが、いままでの出版物では消滅度が悪く、ある程度残ってしまっていた。今回のデジタル化ではこのような仕掛けは正しく機能するように復元した。当然この高精度再生は他の要素、例えば中間部はバイノーラルであるが、より明瞭に再現できるようになった。無論、音の解像度については言うまでもない。 〈セピアチュール2〉 前述したように「Shell」の相方。録音時期は1と2は同時である。CDの場合すぐに曲をスキップできるので、1が終わったら「加速度〜」に行かず、すぐ2ヘスキップすると様々な風景や配置、音色等が連続していることが確認できる。演出として、導入部のストリングス主体の楽器編成が、なぜか2ではサキソフォン部隊に変わっていることが暗示として使われている。また景色や時間が1と2では連続しているのに、1は室内的に2は野外的に空間処理されている。ニュアンス的には「アフターディナー・ワールド」の使用前、使用後といったところか。何気ない演出ではあるが、効果的であると自負している。暗示とはそうしたものだ。 国内版アルバム・グラスチューブの終曲は終端部分がエンドレス仕様となっているが、今回のCDでは再現されていない。再発企画の打合せ段階ではエンドレス部分を新たに作成し、残り時間全てに延々と入れておくという案もあったが、今回は見送った。理由のひとつにはボーナス・トラックとして〈髪モビールの部屋〉を収録する必要があったからだ。 アルバム・グラスチューブの曲順/構造は以上記述したように「完成」されたものであるため、容易に変更できる余地はない。 この文章を作文している今現在、すでに変更できる時期は過ぎているが、ボーナス・トラックは「シングル」に含めるべきだったかもしれない、と考えている。 [作業工程4 デジタル領域での修正と編集} 本作品はいずれのテープも保存状態そのものは完璧に近い状態で、基本的には何の修正/手直しも必要ではなかった。 また、曲間のタイミングは最終的にはリバランスの結果を待って決定する必要があるが、このようなトータルデザインされたアルバムの場合、各曲を個別に切り離して判断すべきではない。当時、十分に吟味され完成されたものであるだけではなく、聴き手の心理に生じる連続性に対して、十分に説得力のある説明ができない変更は取り入れるべきではない。 一般的なマスタリングでは曲間に無音を挿入し、その秒数で調整を行うが、アルバム・グラスチューブには「無音挿入」はそもそも存在しない。これは他のインタビューだか論説でも述べたことだが、制作設計思想として、ノイズ・フロアも物理限界としてそこに存在することを容認するのではなく、「ノイズ・フロアも積極的に作り込んでいく」としているからだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ノイズ・フロアとは録音していない部分であっても、「サー」というホワイトノイズ様の雑音が存在し、特にアナログ録音の場合無視できないレベルで、仮に録音レベルが低すぎたり、「眠い音」であったりすると、作品がこのノイズに占領されてしまう。アナログテープの場合このノイズ・フロアは規定レベルから見て−60〜−70dB(1/1000程度のレベル)で、俗にヒス・ノイズとも呼ばれる。ヒスノイズとは正しくはヒステリシスノイズを指し、テープの磁気特性のヒステリシス現象に起因するものを指す。従って音が存在する部分でのみ発生するものであり、無録音部分に存在するノイズは、バイアス等を含み「録音されたノイズ」あるいは磁性体粒状に起因するノイズであり、ヒスの名で呼ぶことは不適切。デジタルシステムで言えばA/D、D/A変換時の量子化ノイズに相当。録音系以外にもあらゆる信号系にノイズ・フロアは存在し、マイクロフォンにもヘッドアンプにもノイズフロアは存在する。代表的なものは「熱雑音」と呼ばれるもので、ボルツマン定数と絶対温度により規定される。しかし音響技術の解説書やオーディオ本ではこれらにも「ヒス」が当てられる。正しくは「ボル」であろう。それらで学んだ学生達は「鳥の声をDATで録音したのですが、ヒスノイズがひどいんですよ!」などと言う。もう何が何だかわからない。)・・・・・・・・・・・・得られる効果として、空間や時間の連続性の確保(制御)、解像度の向上、暗示、物理限界であるノイズフロアのマスキング、ダイナミックスの設定/制御、などが挙げられる。ある意味デジタルに於ける「ディザ」と似ている。 楽曲グラスチューブのエンディングでは本編である歌や楽器音のトラックがバイバリと剥がれ落ちていくが(テープ・エッチングというテープの磁性体を機械的に剥ぎ取る方法によって)その後に残るものは第1層目のノイズ・フロアで、そこには孔雀が住んでいる。第2層のノイズ・フロアでは何者かがポッペン(ビードロ・・・この曲の為に硝子工房でHacoと私で作った)を吹く何者かが存在、のように使われている。他の楽曲でも虫の声やセミなどが使用されている。自然起因のものだけではなく、様々な機械音や信号音なども使用される。 これらのライブラリーがないと曲間編集が短縮はできても延長はできないのである。正しく編集するにはこれらのバックグラウンドのライブラリーを発掘あるいは新たに作成し、単独化した楽曲を乗せ直さなければならない。 今日「音響系」、「環境系?]などと呼ばれるアーティストがいるそうだが、単なる記号(お約束!)として、あるいは形骸化していないか。正しい使い方(ムッとくる言い方だが)は結構シビアでデリケートなものだ。活用のヒントは私の2000年作「TOKUSA NO KANDAKARA educational kit」に詳細がある。正しく使ってネ。 〈 AFTER DINNER 初期作品のリマスタリングに寄せて 〉 4 宇都宮 泰 [作業工程4.5 過去の出版物との同時比較} 今回初めて行った調査であるが、私がアフターディナーで関わった出版物(今回の再販に関係があるもの)は イ)デビュー・シングル (国内盤JVCプレス カッティング:下重 修 氏) ロ)デビュー・シングルの再販分 ハ)アルバム・グラスチューブ(国内盤JVCプレス カッティング:小鐵 徹 氏 * ) ニ)リコメンデッド版 (ニンバス社プレス) ホ)リコメンデッド版 CD (こちらもニンバス社だが、以下単にCD) が存在する。 * グラスチューブは当初、下重氏に依頼予定であった(アルバムブックレットは下重氏のクレジット)が、立ち合いカッティング当日、東名高速の事故に巻き込まれ予約時間に間に合わず、急拠、小鐵氏担当となった・・・。 ホ)のCD以外はマスターの作成も自ら行い、出版以前に詳細なヒアリングと物理検査を実施している。しかし、これら全てを同時に同条件で比較調査を行ったことは今まで実施していなかったが、今回の再発を前にこれらを再評価し、再発版に生かす目的で行った。 方法はそれぞれを同条件で再生し、デジタルMTRの各トラックに録音し同時比較する方法をとった。ただし、同条件とはいうものの、レコード回転数に関してはプレーヤー・・・(SONY製 PS−FL77・・・・リニアトラッキング、バイオ・トレーサー=トーンアームの各パラメータが全てサーボ制御で電気的に管理され、メカ的にはほとんどCDプレーヤのごとき一品。ただし回転数制御はクォーツロックではない。針圧、アンチ・インサイド・フォース、等の各サーボゲイン、ダンピング、オフセットを、音を出しながらリモート調整可能。私の改造機ではPCにて制御。)・・・をストロボスコープで校正し回転数固定で、MTR側のワード・クロックを修正し同じピッチになるよう調整した後録音を行った。修正量はデータとして記録。 リコメンデッド版CDは同様にCD側ワードクロックを固定、MTR側ワードクロックを修正し同じピッチになるようにアナログ録音。サンプリング・レート変換等の方法を用いなかった理由は、再生条件を他のアナログディスクに揃えるためである。アナログディスク同様にMTR側ワードクロック修正量をデータとして記録。 比較項目は 1)テープスピード精度(ワードクロック修正量から算出) 2)各楽曲毎のレベル 3)スペクトル 4)音色(ヒアリングによる主観評価) 5)印象(ヒアリングによる主観評価) 比較は今回作成したデジタル化音声(キャリブレーションは厳密に行ってあるが、その他のイコライゼーション、レベル補正は行っていない)をリファレンスとし、これと物理比較、同時主観比較を行った。 比較方法は 1)電子音叉およびオリジナルマスターと各出版物の聴感上のピッチ比較と、MTR上に展開した時の曲長が一致するようにワードクロックを修正 2)被測定曲の再生信号系にマスタリング用フェーダー(詳細後述)をはさみ、リファレンスと聴感上で同レベルとなようにこのフェーダーを調整。フェーダーの調整量を記録。曲の中途で調整量が変わる場合、その場所と調整量を記録。(LEVEL NULL METERによる判定を併用) 3)FFTアベレージング・モードで曲毎にアベレージング・スペクトルをデータ化。 (米ST社スペクトラ・ラボ) 4)常用モニター(TANNOY社Super Red Monitor改)によるヒアリング評価。楽器バランス、音色の同時比較。および解像度比較評価 5)常用モニターによるヒアリング主観的抽象表現を含む評価。 **注 純粋な物理測定は1)項の曲長比較と3)項のFFTアベレージングのみで、他の比較ではことごとくヒアリングを含めた主観的比較を行っているが、これはこの目的のために必要なものが、物理量のスペックではなく「どう聴こえたか」が問題だからである。またこの聴感に信憑性を持たせるため、経時比較ではなく同時比較を、また違いの度合ではなく測定系にフィードバックループを設け、比較する2者が同一か極近似になるようパラメータを調整、「同一性」の判定をもってその時のパラメータの読み値をデータとして採用した。 無論、純粋な物理測定比較は手を延ばせば届くところに待機させてあるし、現実に判定が不安な場合は物理測定を併用している。上記の評価系が目的とすることは聴感と物理特性が不一致の場合、聴感を優先させるという意味。 比較結果 1)テープスピード精度 個別の評価は割愛するが、ワードクロック修正値で−3〜−15¢(単位:セント 調律用語。等比級数。 1¢=1/1200オクターブ: ×100.05778%(周波数比、速度比) 等比級数なので 10¢=(100.05778)^11[11乗]: ×100.6374%(周波数比、速度比) −3〜−15¢は−0.173〜−0.863% dB(デシベル)と同じ様に感覚量に対応した表示系。修正値で−3〜−15¢、ということは最大1/7半音低い音程、速度で出版されていたことになる。この数値は明らかに認知可能であり潜在的影響がある誤差である。しかし、アナログの時代にこの誤差をゼロにすることは困難であった。テープはキャプスタンとゴム・ローラ(ピンチローラー)に挟まれて走行するが、テープ速度はキャプスタン外周速度とは一致しない。常にスリップしながら走行しているのである。スリップ量を見越して調整するが、オーバーオールには0.2%程度の誤差が生じる。放送業務や映画では番組時間に影響を及ぼすことから、テープ中央部に制御トラック(シンク・トラック、タイムコード・トラック)を設け対応するが、音楽専門の業務では使用されることが少ない。このトラックを用いれば、誤差0.01%以下が実現できるが、反面、音質に影響を及ぼすことがしばしばあるからだ(ロースペクトル・ジッタ=ある種の音の濁り)。私のラボでもSMPTEタイムコードによってほとんど全てのレコーダーはリンクされるが、通常単独使用のモードではリンクさせず、ワード・クロックのみで運用される。 当時の出荷されるテープのヘッダーには、1KHz/10KHz/100Hz以外に速度校正用として440Hzが添付されていた。(ニンバスプレス用には前出テープレコーダーテストシステムST1500Aの信号も添付されていた。そのため、キャリブレーション・テープだけで1巻になってしまったが、音を聴く限りその効果はあったようだ。) 2)各楽曲毎の記録レベル アナログレコードの時代、マスタリングのスタイルは現在とは異なっていた。現在の日本のマスタリングでは、レコーディングスタジオで作成されたマスターの曲順等の編集、音色調整、レベル調整、等を処理し、プレス用金型を作成するのに適したフォーマットに仕上げる作業を指している。(欧米では編集、音色、レベル調整と、プレス用フォーマットは分業することが多いようである)アナログレコードの時代には編集、音色調整までは各レコーディングスタジオで、最終的レベル調整とラッカー板のカッティングをカッティングエンジニアが担当していた。現在のマスタリングは後者の流れを汲むものである。(詳しくは私の″マスタリング論″を参照) 当時、カッティングにまわされるマスターにはオーダーシートと呼ばれる書類が添付されており、そこには各曲に含まれるVUレベルの最大値、ダイナミックレンジの大小、位相差の有無などの所見とともに曲間の送りバンド長、レベル調整、その他の要請事項が記されている。これらの所見と要請を鑑み、カッティングエンジニアは最適な送り幅、溝の深さ、カッターヘッドの温度などを考慮の上、要請であるレベルなどの実現を達成していた。このように書くとあまり難易度は高そうに思えないが、例えば高レベルかつ高音域の比率が多いソースではカッターヘッドは容易に燃え尽きてしまい「ハイファイ」どころではなくなる。ヘッドはオイルで冷却されているが、僅かな設定温度の違いが溝の形成の違い、すなわち音の違いとなってあらわれ、あげく隣の溝に影響を及ぼす。 ここで読者の中には「なぜレベル調整や音色の最終的調整を済ませてカッティングにまわさないのか?」疑問に感じる方もいると思う。当時アナログ全盛期、(’70年代後半から一部ではデジタルでマスター作成する動きもあったが)アナログの性質として如何にキャリブレーションを行おうとも同一のコピーは作成できず、またこの生ずるロスが無視できなかったのである。従って最終的調整はカッティング・エンジニア(マスタリング・エンジニア)にしわ寄せされることになるのである。 各レコード会社の保有する名工達は腕を競いあっていたようで、その結果そのレコード会社のトーンが出てくることになる。また、しわ寄せである無理難題を如何にこなすかが名工達の資質でもあったようで、そのことを前提にスタジオ作業を行っていたフシすらある。 実際、オーダーシートにリクエストとしてのレベル調整が要請されていても、そのとおりにカッティングされているかどうか、確実に実行される保証は無い。ベストを尽くすにはカッティングに″立ち合う″しかない。そのときに取り交わされる会話によりエンジニアは″サウンドを解釈″。より最適な方法を提言してもらえたりする。 そうやって完成したものがアルバム″Glass Tube″である。 もっとも国内盤とニンバス盤は曲構成も絶対収録時間も大きく異なるので単純比較はできないが、トータル・アルバムとしての完成度は国内盤の方がはるかに高い。 当時のアルバムから音を拾いあげ(MTRにコピーして)、単純にレベル分布や平均を数値化することは容易であるが、要はそれを再現してもそのようには聴こえないのである。つまりビクター青山スタジオで小鐵氏は単純にオーダーシートどおりにレベルを上げ下げしていただけではないのである。送り幅、深さ、油温などの組合せを駆使し、そのように聴こえる工夫がなされている。全く学ぶところが多い! このことから、「レベル調整」がどの程度行われているか、は先に述べたように、聴感的印象を優先して評価を行う必要があるし、デジタルでそれを再現するための具体策にも結び付けなければならない。 参考までにオリジナル・マスターとの比較データを掲載 (数値は、対オリジナルレベル) 単位はdB(正確には聴感による フェーダー補正量 R=リファレンス) 曲 |AD|シンバル|セピ1|カソク |ソニャ |シャベル|デザ1|GT|デザ2|セピア2|カミモビ| ニンバス | R |+1.5 |----|+3.2|+1.0|-2.0 |---- |+4.0|---- |-2.0 |---- | CD | R |+3.2 |----|+3.0|+1.0|-2.0 |---- |+5.0|---- |-2.0 |---- | 国内盤| R |+1.5 |+1.5|+4.0|+4.0|+2.0 |+6.0 |+6.0|+3.0 |-1.5 |---- | ** 今回のリマスター版に関するデータの公表は控えさせていただきます。 このように比較してみると国内盤の調整量が大きいことがわかる。また、物理測定値はこの表の数値と若干異なっているので注意のこと。 3)スペクトル スペクトルに関しては伝送系の性質がそのまま表れた。オリジナル・マスターは当時のMUEのラボ内部規格から、帯域は全工程で40KHz(−3dB以内 ただしマイクロフォンを含まず)が保証値であり、また帯域制限も行っていない(ただし回路設計指針としてすべての増幅回路をfc=150KHzの積分回路とするルールはある。これはRF対策とトランジェントの改善が目的である)ので、とくにシンセサイザー等のライン録音部分、コンタクトピックアップ録音部分ではこの帯域を越えている。 国内盤では立ち合いのもと、極力帯域制限しない方向でカッティングされているため、その痕跡が観測できる。しかし、ニンバス盤ではおよそ22KHz前後でロールオフされているようである。CDはサンプリング定理による制約、よりも幾分低い帯域(20KHz前後か)で同様にロールオフのようである。 *注 この測定はデジタルMTRに取り込む前に行われたもので、判断は定性的になされたものである。傾向を知るためのもので、以後の4)5)を補佐するデータである。 4) 音色(ヒアリングによる主観評価) この評価はMTRに取り込んだデータで行っているが、厳密にはレコード再生時の印象が影響を及ぼすことから、5)の項目が併用される。しかし厳密に分離、評価できるものではないことは明らかではあるが、それでも芸術作品の技術評価方法としては数少ない評価方法の一つと考えられる。また、今回は制作者自らが行うリマスタリングであり、私自身の主観が発揮されなければ何の意味もないことから、この重要な評価から作業の指針を、あるいは「リ・イマジネーション」の助けとした。(後述するが、そうしなければどうしようもない・・・という結論に至る) 5) 印象(ヒアリングによる主観評価) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!。 先ず、このような同時比較をデジタル化の後に、リマスタリングの前に行って本当に良かった! 確かに今回のデジタル化は従来に無い(アフターディナーに関して)高い精度と情報量を誇るし、オリジナル・マスターの劣化進行を考えると今後これ以上の情報抽出(再生)は二度とできないかもしれない。 ところが、そのサウンドをもってしても、従来の45回転のアナログレコードに対して十分な優位性、競争力があるとは言い難い、という結論に至ったのである。大変衝撃的事実である。たしかに細部のディテールや解像度、つじつまなど細かい部分で今回のデジタル化は明らかに勝ってはいる。しかしそれは音楽として、リスナーに直接アピールできるものとは異なり、地味で「重箱の隅」的要素としてとられかねない。無論リスナーが聴き込むにしたがってじわじわと真価を発揮するではあるだろうが、やはり地味だ。 典型的なのはリコメンデッド版のCDが良い例で、「表現物としての戦闘力」よりも「アーカイブス(客観的記録物)」としての色彩が強い。つまり、このまま月並なマスター情報のCDへの詰め込みを実施しても(客観的に)、これら先行出版物に勝てる見込みがないのである。(成果が同等なら、時代が進んでいる分、負けであろう!) 先に述べたように明らかに勝てそうなのは33回転で出版されていたシングルと、アクシデントに見舞われまくった「髪モビールの部屋」だけである。 ** 実際の作業ではここから苦悶の日々が始まる、といっても、のべで丸3日程度だろうか。 その間リマスターとしてできる技術と裏付け、またそれに伴う得失を検討。情報量を優先するならデジタル・アナログを問わずコンプレッサなどのゲインリダクションの使用は、その効果の深浅にかかわらず、使用そのものが致命的であることも判明。 〈方針の策定〉 今回のリマスターを私が了承した時点で考えていたことは、「真のオリジナル・マスター」を用いた「完全な再生」を実施することで、十分な戦闘力が備わるであろう、とタカをくくっていたのであるが、そのことがそもそも問題であった。考えてみれば、著名な名工たちがそんなヤワな仕事をしていると思う方がどうかしている。良い仕事は時代やテクノロジーを超えるのだ。 このままでは「負け」が確定してしまう!・・・・そんな焦りの中、ふと気付いたことは、今回の作品は「私自身」にその責任の全てがあるのであり、基本的にはどのように改変しようと誰にも文句をつけられる筋合いのものではないではないか! ついつい「高精度再生」に没頭するあまり、自分本来のこの作品に対する正しいかかわり=命を吹き込む存在、を忘れていたようだ。アピールしない地味な印象が不満なら、新たに強力な命を吹き込めば良いではないか。 先に述べたように、オリジナル・マスターはアナログディスクを前提にダイナミックレンジやレベル分布、帯域、バランスが設定されている。″アナログディスクを前提″とは単にメディアとしてのアナログディスクの物理特性だけではなく、当時のオーディオセットや再生環境をも含む。具体例を示すことは避けるが、当時私がこれらダイナミクス、レベル分布、帯域、バランスを考える上での手本がある、ということである。逆に自分の創造性だけでこれらを設定していたと仮定すると、評価は変わっていたかもしれない。今回リマスターするにあたって手本があるとするなら、当時のアルバムが私に残した「膨れ上がった印象」であるべきなのかもしれない。先に曲毎のレベル評価表を上げたが、これは参考であって従うべきものではないのである。 [作業工程5 リマスタリング (表現としての色付け+PQコード+bit数とサンプリング・レートの変換)] そのような事をあれこれ考えながら、如何なる手法が必要で、そのためにはどのような道具が必要か考えた。 * リマスター案 (施すべき処理) 1)ダイナミックスの補正 2)帯域感の修正 3)当時やり残した処理!の完成 4)一部バランスの修正 5)転写の軽減等 6)解像度の向上(対従来CD) 1)ダイナミックスの補正に関して、一般のポップスCDではリミッターやコンプレッサ等のゲインリダクションを用い、一般的にクリップレベル寸前の高レベルに分布を集中させ、いわゆる「音圧感」を上げる処理が行われる。 今回のアルバムではそのような高音圧は不要で(ではあるが、低いレベルの必要はない)むしろアナログレコード用にツメた(手動フェーダーで行うコンプレッサー様動作)部分を本来あるべきレベルに上げるエキスパンダー動作が必要。 しかし先に解説したようにアフターディナーの多くの楽曲ではノイズフロアまで作りこまれていることから、そのままエキスパンダー動作したのではノイズフロアが不自然に変化し目的を達成することができない。 6)の高い解像度の確保であるが、正直なところ16bitデジタルにそのまま変換してもダイナミックレンジを広くとった場合、有効bit数が減り、せいぜいリコメンデッド版CD程度の分解能しか得られないかも知れない。 また、先行実験で通常のゲインリダクション(1978年に私設計製作の高速積分ループ型も含め)は使用できないことが確定している。 2)帯域感の修正、3)当時やり残した処理の完成、4)一部バランスの修正、5)転写の軽減などの処理を、可能なら1プロセスで完成する必要がある・・・2プロセス以上ではおそらく損失が限度を超え、満足いく結果が得られそうにない。 〈 AFTER DINNER 初期作品のリマスタリングに寄せて 〉 5 宇都宮 泰 私がマスタリングで常用するマスタリング専用の道具の一つに、マスタリング用フェーダーボックスがある。説明するとかなり地味な道具なのであるが、マスタリング時には常に活躍しているレギュラーアイテムの一つである。 仕様は鉄製ケース(おおよそVHSビデオテープ3段重ね程度)に東京光音製のハンド・トリミング済みのプラスティックフェーダー(ステレオ仕様、トラッキング誤差0.1dB以下選別品)が装備された単純なものなのであるが、周辺回路に徹底した低雑音、低損失化の工夫を施し、どんなに高速で動かしてもノイズやDCドリフトが生じないよう設計したものである。また、目盛りは完成後に測定しながら刻印した、信頼できる目盛りである。同時に手触りでフェーダー調整量が確認できるよう、刻印は適度な深さの触感を持つ。 専門職の方以外はピンと来ないかもしれないが、スタジオ内で行う多くのコンプレッサ、エキスパンダー動作の多くは、フェーダーを用いて手動の操作でも実現できる(要修行。熟練すればエンベロープのリフォームも可能)。私もフェーダーオートメーションをよく使用するが、目的はトラック毎のこの手動によるコンプレッサ、エキスパンダーのごとき動作を記憶し再現させるために用いる(ミックス(バランシング)自体はフェーダーリコールを必要とすることなどほとんどありえない。せいぜいフェーダーグルーピングを使う程度か)。実際に集中が持続する間は機械任せよりも良好な結果が得られる。なぜなら、いかようにも先読みできるし、コンプレッサー動作とエキスパンダー動作(この二つの動作はそれぞれ相反する逆の働き・・・)を同時に機能させることができる。アウト・ボードやプラグインでは絶対に不可能なことだ。なぜなら極低レベルでコンプレッサしながら、高レベルをさらにレベルアップするなんてことをフレーズに応じて自由に細かく使いわけねばならない。もちろん先読みしながら、である。私が受けた教育では、スコアリードできない者には師匠はアドバイスすらくれなかった。このためだったのだろうか。 私は今回の楽曲について隅々まで熟知している。どのようなコントロールだって完全な先読み付きで可能だ。当時失敗しているところすら如実に覚えているし、完全に修復する自信もある。ということで今回フェーダー一本で全て(コンプレッサ、リミッター、ノイズゲート、エキスパンダー等の各ゲインリダクション動作および当時の不手際)をまかなうことにした。ほとんど戦時中の大日本帝国ばりに1本のフェーダーと「根性」だけで乗り切ろうと言うのか。バランスや音色の修正すらできると言うのか。 − RE−BALANCE − 例外もあるが、音楽信号は常に変化し続ける。明るい部分がクローズアップされれば、全体として明るい印象に、同様にクローズアップされた部分のバランスが優位となる。バックグラウンドの成分が、それに伴いクローズアップされるはずなのであるが、巧妙な上げ下げの実施でそのようには認知されない。ある種のマスキング効果である。 とにもかくにも、できるかできないかは今回のリマスター/リバランス版を聴いて判断してほしい。 分かり易い部分の例では、シングル1曲目の″AFTER DINNER″には前半後半にそれぞれ春日大社の大型締太鼓の音が、各小節1拍目に「ドーン」と入っているが、各1打毎にフェーダー操作を行っている。エキスパンダー動作(ダイナミックレンジ拡大)として太鼓音の部分でフェーダーを上げ(+8〜12dB)、同時にその太鼓音のアタックを強調するために、アタック後にすぐに少し下げる(そのレベルから−3〜4dB)、さらに徐々に2拍〜3拍にかけて通常レベルに戻す、というサイクルを繰り返している。練習が必要なのは先行してフェーダーを上げなければならないのであるが、その先行度合である。早すぎると操作を悟られてしまう。遅いともくろみとは逆に「眠く鈍重な」印象になってしまう。 また、タイミングがまちまちでは音色がばらついてしまう。なぜなら、エンベロープ(鳴り方)そのものに変更を加えているからだ。また、中途から太鼓の出番が減ってくるが、それに合わせて最適なフェーダー操作に変更していかなければ不自然となる。アナログ版ではバイオリンポルタメント(テープ可変速で処理)部分のレベルが高すぎるがそれも改善。 後半、雅楽パートからやや離れた位置にフィールド設定してあるが、これもオリジナルではややツマりすぎていたものを改善、開放的な印象に。前半に同じくフェーダー操作によるものである。当然レベル分布やレベルそのものが相当変化しているが、オリジナル版と新版をPC上にでも並べて比較すると、容易に比較できる。 前奏部分の「走り込み」部分は切り離して別処理で行ったが、これはフェーダー操作ではなく(もちろんレベルは変更されているが・・)スライディング・バンド型のシングルエンド・ノイズ・サプレッサーを使用するためである。 解像度の根本的改善であるが、この目的の為には有効bit数を増大させるしか方法が無い(ディザを使用することは確かにある程度の改善にはつながるが、「根本的改善」では無い)。もちろんCDにスペシャルD/Aコンバータをバンドル・サービスでもすれば、DVDプレーヤであっても最高に近い結果が期待できるのであるが。(そんな計画が無い訳でもないが、現状で行えば私の破産は確実であろう) CDフォーマットで有効bit数を稼ぐには、単純には録音レベルをより高くすればある程度改善できる。一般のポップスでもやたらと高レベルで録音されている背景の一つにはこの問題がある。 アナログテープ/レコードの時代はデジタルとは異なり、高レベルの限界付近がノンリニアで(少しずつ歪んでいく。突然″バリッ″とは歪まない。そのように歪むアナログもあるが、それはアマチュアユースのヘッドルームの低いマシン)、その部分を上手に使いながら(ある種のコンプレッサとして。ただしアタックタイムもリリースタイムも0。しかもある種のスペクトル変換を伴う・・・)録音やマスターの制作を行っていた。 デジタルではフルビット(16ビットhexコードで7FFFh以下または8000h以上、:多くのコンバータの入出力コードで)を越えると突然″クリップ″する。つまりアナログとはレベルの取り方が異なるのである。以前から気になっていたことであるが、このクリップによる突然のカタストロフがあるせいで、ついついレベルを低めにとってしまうことが多いという問題を、少しでも改善し、カタストロフではなく、非直線領域として使用できるようにしたいと考えていた。 単純にはA/Dコンバータ直前にソフトクリッピング回路を設け、見かけ上A/Dコンバータが徐々に飽和するような工夫をする。もう少し手の込んだ方法では、コンバーターチップは基準電圧設定がアナログ的に行われるものが多く、これを利用し、飽和レベル付近で基準電圧に入力信号を加えることで、故意にソフトクリップを作り出す手法がある。 今回、作業のほとんどは24bit長で行っているが、先のマスタリング用フェーダーボックス(アナログ)出力を再度A/D変換する際に、上記のアナログ的飽和特性を実現することができた。リサージュを見ることが可能な読者は(ゲーム機プレイステーションの初代後期型はリサージュや簡易FFTを見ながらCDを鑑賞できる)是非グラスチューブを聴きながら観察してほしい。曲後半では完全な″正方形″になっている。しかし、音の方は″甘い飽和感″があるのみで、リサージュの波形からは想像もつかない音に仕上がっている。 実際に使用されたのはチップ基準電圧の操作ではなく、前置型ソフトクリッパーで、試験使用の意味もありNEVE社#1099モジュールの出力アンプ部分だけを切り離し、電源電圧を調整、良好な飽和マッチング結果が得られる電源電圧を決定後に作業に移っている。++ そのグラスチューブ後半の″2番目F″(身内での呼び名。歌詞で言えば 〜吸い込まれていく魚たち)からテープ・エッチングにより表層が剥がれ落ちる部分が、最も高レベルで激しく飽和しているが、今回の音造り的には、この部分のこの音が最初にイメージされていたもので(リマスター開始以前に)、この部分に合わせて他の部分のレベルやバランスを作った。(リマスターの作業順番も「再生」と同じく、髪モビ、シングル、アルバムであるが)++ コンプレッサやリミッターと異なる点は、アナログテープの飽和特性同様に時定数を持たないこと、結果として飽和に達してもスペクトル変化が少なく、NEVEのこの製品が完全なディスクリート構成で、単一電源動作で、しかも飽和特性やトランジェントが十分吟味されたものであるため、好結果が得易いことである。 もし時定数を持つなら飽和以前に圧縮感が出てしまい、全体としてのびのびとした音には仕上がらない。フェーダー操作では巧妙に圧縮感を避けることができるのである。 実際の処理では、この飽和領域に達したときにフルビットを刻んでしまうが、フルビットの使用は後述する理由により好ましくないため、高速掛け算で−1dBレベルダウンさせている。 アナログ的飽和特性を装備してもやはりオーバーレベルはオーバーレベルである。実際の作業は全て44.1KHz16bitに変換し、その状態でモニターしながら聴感的に許容できる歪みの範囲内に納まるように作業を進める。この工夫により、およそ10〜14dBマージンが増大することから、およそ2bit分程度、解像度を高めることができた。 つまり飽和させることにより、相反する結果である解像度を引き換えたわけである。 Q**フェーダー操作が思い通りにできなかったらどうするのか A* できるまで練習する。それでもできず(時間的制約などで)見込みもないときには、曲を支障の無い部分で分割し処理。処理が完成してから元に戻す。私はエンジニアの自覚が無く最良の結果を得るため、いたしかたなく技術開発や手法の開発を行っている。根本は音楽家なので練習や自らの改造で解決することは基本と思っている・・・。技術開発や手法の開発によって練習が無意味化するとは思わないし、また望みもしない。近年日本のポップスでは生ストリングスを導入することが流行しているが、擦弦楽器という最も練習量を必要とする楽器を導入することで、枯渇した「練習によってのみ得られるパワー」を補充しようとしているのではないか? **** 注意 **** 文章で解説すると「たったそれだけか」と思う読者もいることと思う。しかし、″マスタリング論″や″HDR考″などの別稿で取り上げているように、デジタルでありながら超即時的にあらゆる作業できる環境の構築や豊富なアナログ技術によって、発生するロスは最低限に押さえ込まれ、なおかつその即時性は判断やイマジネーションを助ける働きをしており、それらの統合によって初めて「たったそれだけ」になる。SFアニメ的で大袈裟な言い方だが、″神経接続″による「たったそれだけ」は無限のパワーだ。 また練習が意味を持ってくる。神経接続を確保するために練習するのである。私はこれまで楽器やフェーダーだけでは無く、レコーダーのキャプスタンともテンションアームとも、ハードディスクのプラッターとも神経接続してきた。これは視覚的作業環境に邁進する現在の主流と明らかに異なる方法論であり、PCベース機で同じ事を行ってもおそらくは同等の結果は得られない。私の場合どうもPCベース機とはうまく接続出来ない・・・。 私が主張したいことは優れた即時型システム構築の自慢ではなく、それによって「どれだけ音楽たりうるか」である。 作品を聴いて「すばらしい」と思えるなら、是非この回顧録から思考のエッセンスを学びとり「音楽の価値」の再構築にいそしもうではないか! *一般論的にリマスタリング/リバランスの概念を解説したが、リクエストがあるなら、具体的操作、手法の体系的解説と心理効果などについて執筆の用意有り。 [作業工程5−b [PQコードの添付およびbit数とサンプリング・レートの変換]] 俗に言うPQコードとは、CDオーディオ・メディア特有の、各曲のスタート位置、終了位置を示すビットである。詳しくはレッドブック等の他文献に譲るが、要点は音信号と共に存在するコード部分とTOCと呼ばれる最内周にある管理領域にあるロケーション・コードの両方が正確に書き込まれていなければならない。 現在のCD−Rをマスターとするプレス生産システムでは、原則として(仮に書類に各曲のスタート位置や長さの記載があったとしても)マスターがそっくりそのままコピー生産される。実際に書類は一応の確認用として使用されるだけである。それだけにマスターディスクに書き込まれるトラック・マーク(メディアを問わず、頭出し機能のためのマーキングのことをトラック・マークと呼ぶ。DATの場合はstart ID、MDの場合はそのままtrack marking、オープンテープの場合はリーダーテープ)は実際に古典的CDプレーヤでも正確に読めるか確認の必要がある。古典的CDプレーヤの問題点として、頭出し精度が甘く最大0.7秒程度の誤差(諸説あるが、この数値は独自基準)を見込む必要がある。特にメディア冒頭(1曲目の冒頭)部分が欠けると聴こえてくるものの意味が変わってしまうため、十分検討する必要がある。 私のラボで現在使用されているシステムでは、このトラックマークについてもコマンドそのものを音声データと同様に扱えるように工夫されている。つまり1倍速スタンド・アローン・CDrライターのコントロール・コマンドを音声ファイルとしてHDRの空きトラックへ録音、位置調節などの編集を行なった後、実際のマスター書き込み時には全自動で作業が行われる(HDRのスタートボタンを押すだけで、ライターブロックのスタートからPQ、FI/FOコマンドの実行、リードイン/アウトの作成まで、周辺機器の制御すべてが「再生」されるのである・・)。 この方式の優れた点は、赤外線リモコンやシリアル通信型のリモコン・コントロール・コードなら、あらゆるコマンドに対応でき、如何なるタイプの如何なる密度の制御であっても音声信号系タスクを圧迫しない(影響を及ぼさない)点である。また編集も通常の音声データと同様に可能で、現在採用しているMTR(Alesis社HD24)の場合、1/3000秒単位でレイアウトでき、1/10000秒単位で微調整可能、同時運用できるコマンド数も事実上無制限である。 〈デジタル的無音とMUTEコマンドの挿入〉 曲間のタイミング調整については、先に述べたようにアフターディナーの今回の作品では、曲間が無音では無く何等かの信号で埋め尽くされている。従ってデジタル的無音の挿入は、ディスク冒頭と終了部分のみということになる。恥ずかしいことであるが、シングルのマスター作成時に手違いがあり、ディスク冒頭部分でC2エラーが出てしまい工場側に指摘を受けてしまった。言い訳であるが、今回のマスタリングが現システムになってから初めてのこともあり、このような失態となってしまったが、運用規準と手順の厳格な適用があれば防げたことなので、敢えて公開し戒めとしよう。 近年曲間をミュートコマンドやジャンプコマンドで結んでいるディスクがしばしば見られるが、場合によって(一部のDVDプレーヤなどで)読み飛ばしなどの不正再生することが確認されている。CDオーディオそのものはディスク1枚通しての連続時間概念を持つものであることから、トラック毎のファイル認識を助長することにはいささかの抵抗があり、私はデジタル無音のみの使用に留めている。 [bit/サンプリングレート等フォーマットの変換] HDR上のマスターデータは、サンプリング周波数48KHz/レゾリューション30bit(実際には48bit長を使用)または24bitなので、そのままではCDに転送することはできない。サンプリング周波数については(1)D/Aコンバータを用いて一度アナログに戻し、再びA/D変換を44.1KHzでやりなおす方法と、(2)サンプリング・レート・コンバータと呼ばれる回路を用いる方法がある。前者は前時代的に見えるが、実際にハイエンドスタジオのいくつかでしばしば行われている方法である。メリットとしてはジッタについて、ソースとプレスレプリカ(製品)を分離できることと、編集などで連続性が怪しくなったソースでも、この「リサンプル」を行うことで、完全な連続性を取り戻すことができることである。(音質よりデータ連続性は優先される) 後者は専用の機能回路によって実現されるが、同時に複数のワードクロックを整合させるという無理難題を解決する回路であることから、先のジッタの問題や不連続性発生の原因となりやすい。私が現在採用している方法はアナログデバイシズ社のAD1890チップを中核にしたオリジナルハードを用いることである。 両者はいずれも完全な変換ができているとは言い難く、デジタル的実用上の完全、と言ったところだろうか。今後に残された課題である。 [レゾリューション変換(bit数変換)] MTR上に作成されたデータは、デジタル化されたばかりのオリジナルが30bit(実使用ワード長=48bit)、リマスターデータが24bitであり,そのままではCDフォーマットである16bit長と互換性が無い。このbit数の変換(レゾリューション変換)はその名のとおり、直接音の分解能や解像度に影響を及ぼす要素であり、慎重な選択が要求される。変換には(1)単純に24bitデータの下位8bitを切り捨て、上位16bitをもって有効データとする、(2)ディザと呼ばれるノイズ変調(ノイズシェーピング)によりダウン・コンバートとする、(3)スーパービットマッピング(ソニー社登録商標)などのノイズシェーパA/Dコンバータを用いてリサンプルする、などの方法があり、いずれが優れた方法なのか、判断が難しい。理論的には単純切り捨てよりもディザの方に分がありそうに思えるが、実際にヒアリングを重ねると必ずしディザに分があるわけではないようで、今回は評価の上(1)の単純切り捨てを行った。 〈 AFTER DINNER 初期作品のリマスタリングに寄せて 〉 6 宇都宮 泰 [フルビット解消処理] 新たに作成されたリマスター後のマスター(以下オリジナル・リマスター)はfs=48KHz/24bitであり、これをフォーマット変換しCDフォーマットの44.1KHz/16bit信号にすることはここまでに述べたが、これ以外に処理しなければならない問題がある。リマスターを作成するときに飽和領域(クリッピング)を積極的に使用したことは上記したが、最終的製品であるプレス盤にフルビット(クリップ)を残さない方が良いという意見がある。これはCDプレーヤに内蔵されているD/Aコンバータがフルビットを含む場合とそれ以下の場合でサウンドキャラクターが異なり、フルビットがあるとプレーヤ間の音のバラつきが大きく表れ、場合によっては既にあるクリップ歪み以外に新たにそこで歪むことすらあるという説。もう一つはPCM−1610/30や民生用PCMアダプターのユーザーなら知っていると思うが、フルビットが存在する録音テープ(どちらもビデオテープを用いるので)はフルビットを使用していない録音テープよりエラーレートが増大する(エラー訂正能力が弱まる)というもので、やはり程度の差こそあれ、DATやCDメディアでも同傾向があるという説である。 私の個人的認識としては、どちらも一定の根拠を認めることができるが、要は「程度モン」であるように思う。私はポップス以外の通常のマスタリングでは、フルビットを無処理で納品しているし、これが問題になったことは今のところ皆無である。これはフルビットの頻度が一定以下であることから、処理を行うことによる「損失」の方が大きいからと考えている。 しかし今回は飽和領域の積極的利用を行っているために、フルビット頻度が非常に高く何等かの処理を行う方が安全性が高いと判断。フルビットの頻出するオリジナル・リマスターのデータを掛け算し−1dBすることで、ディスク通しての最大レベルは−1dBに設定された。設定できる最大レベルは−0.1でも−0.5dBでも良いが、これらの演算は掛け算命令であり、掛ける数値により端数の出方が変わり、それは音情報の損失度合に影響する。最も端数が出ないのは−6.0dBで丁度1bit分LSB側にシフトした状態であるが、これではレベルが下がり過ぎてしまう。その近隣でなるべく高い数値で且つ解像度を保っている数値を選択すると−1dBという結論に至ったのであるが、これは計算アルゴリズム等の影響も受けることから、やはり今後の課題と言える。 [作業工程6 サンプルの作成・送付および各権利者からの承認取得] 作業が一段落したらサンプルを作成する。作成したサンプルはスタジオ以外の再生環境で再生し仕様(いわゆるオーディオCDプレーヤで再生したときに、設定通りの場所から再生でき、期待される心理効果を発揮するか確認する。スタジオ以外の再生環境に存在する要素とは、騒音レベル、スピーカーの仕様の違い、ルームアコースティックの違いなどである。 これはオリジナル・アナログ盤を発表したときにも行ったことであるが、やはり当時とはオーディオ事情が相当変化したことは確かなようだ。また、マスタリング作業そのものの仕様とも関係するが、今回のリマスターは、より高い聴き取りレベル(大音量聴取)に対応するように設定された。具体的に一般法則があるわけではないが、ミックスを行う際に期待される聴き取りレベルを想定しバランスや音作りを行う。完全に同義というわけではないが、大音量で聴いてもらいたい音楽は一般的に大音量でモニターしながら音作りやバランスを、小音量聴取を望ならそれに対応する音量でモニターしながら音作りやバランスを整える。この作業により自動的に聴取レベルの設定ができるのもなのである。 今回リマスターするにあたり、この想定聴取レベルをどれ位にするか検討した。もともとのオリジナルが「中の大」くらいで、且つあまり明確な音量設定が無いつくり(大音量聴取してもサウンド的快感があまり増大しないつくり)になっていたが、今回レベル分布の変更を行うことから、ダイナミックレンジの拡大と大音量聴取時の快感増大・・・レベル分布と最大レベル時のスペクトルバランスにエントロピー0を持たせる・・・(なんてことを平然と語ることが私への反感の原因であることは良く知っている)ように工夫した。試してみてほしい。 各権利者からの承認であるが、この権利者とは今回の企画と資金投入を行うディスクユニオン社とAFTER DINNER側責任者であるHacoの両名である。しかし道義的にはオリジナルの制作者が私であるので、本来的には出版に関する全権利は私に集約されているべきなのだが・・・。まあ、現実の問題として、この出版物が穏やかに再版できるためにはこの2者と出版元の了解が必要なのだろう。 さてサンプルが完成した時点で入稿締切りの2週間前であったが、直ぐに承認を得るために発送した。回答は出版社側は「特に問題なし」で、Haco側が、曲間のツナギが短すぎるのではないか、というものであった。無論調整するだけの時間的余裕はあったものの、その指摘の原因を考えると、上記した「設定聴取レベルの増大」に原因があるという結論に至った。まんまとHacoはその設定にひっかかり、相当な大音量聴取を行ったようである。このアルバムでは現在の私の作品群のように「説明のできないFI,FO(フェードイン、フェードアウト)は用いない」という主義が確立しておらず、割りと多様しているが、大音量聴取を行うとこのFI/FO部分がカサ上げされ、その結果曲間が短縮して聞こえてしまうのである。 この検証結果をHaco側に伝え、一般リスナーが聴取するであろう音量で、再度聴き直すよう要請したところ、「問題無い」との承諾。もう一転Haco側からの指摘は「髪モビールの部屋」との繋がりが悪い、というものであったが、これはもともとつながるように出来ていないことと、私自身がそれを望んでいないこともあり、Haco側に了解を求めた。 この文章は「リマスター論」としても書いているが、この件にについてまとめるなら、全ての作業や結果を権利者が無条件に受け入れてくれることは希で、多くの場合さらなる注文や指摘が帰ってくる。その場合、もし自分自身がはっきりしたビジョンを持って仕事をしているなら、注文や指摘に対して、そうできない理由やそのビジョンを分かり易く説明できなければならない。闇雲に「客は神様」などと言い訳しながら注文や指摘を受入れても、多くの場合「真の完成」には近づかない。私の門下にもこの泥沼にハマり込んでいる輩がいるが、永遠に脱出できず、あげく不信感だけが残るであろう。あくまではっきりしたビジョンや戦略があっての話であるが。もっと言うなら、リマスターする者はこの仕事の範囲内で品質や評価まで保証しなければならない道義的責任があるし、説明責任もある。 [作業工程7 プレスマスターの作成] 各権利者から承認が得られたら、プレス工場に納品するマスターを作成する。CD/CDrの記録フォーマット全てについて理解することはなかなか困難な事で、これらのメディア専門のエンジニアならいざ知らず、マスタリング/リマスタリング・エンジニアはどちらかと言えば「クリエーター」に近い人種であることが多い。かく言う私も「音楽家」を名乗っているし。 しかしこのプレスマスターに関しては、「クリエーティブ」な内容よりも物理的諸元が優先され、これが守られていないと製品であるCDが正常に作成されない。詳しくは「マスタリング論」を参照いただきたいが、要点をかいつまんで記載する。 〈松/竹/梅〉 マスタリング・クリエーター達が作成したプレス用マスターはプレス工場に納品され、そのディスクから音声のデジタルデータが読み出される。ここが落とし穴なのであるが、入っている音声データはデジタルなのだから、そっくりそのままプレス金型にデータ転送されると信じている者が多いことだ。これはPCでCDをCD−Rにコピーしたりする場合にも1倍で読み込み/書き込みを行おうと、32倍速で行おうとデジタルなら同じ結果が得られるという信仰に似ている。1倍と32倍では大違いだ。どのように違うか、についてのデータは「マスタリング論」「JON&UTSUNOMIA」関連の論説に公表されている。ジッタや不正ピット以前に、マスターとレプリカの間に差分がでるのである。つまり明らかに変造されたデータになるのである。音質がどうこう言う以前の問題だ。 プレス工場も商売なので、持ち込まれるマスターがどの程度のグレードのものか一々客を評論・技術レベル・ランキングはしないが、真剣に精根込めて作り上げられたマスターか否かにかかわらず、とりあえずそのマスターで「苦情なく音が出なければ」ならない。オーバーオールに問題が出にくく、高速に作業が完了し、極力「聴かずに済む」方法が、工場としては採算性が良いことになる。〈梅コース〉である。 このコースはメディア上のデータストリームに多少のエラーが存在しようと、そのままガンガン読み込み、勝手にエラー訂正し、連続した新たなストリームを作り、それを金型に焼き込む。丁度PCでコピーを高速作成するのに似ている。この方法はメディア上にVエラー(完全訂正が出来ない重篤な欠損があっても無視し、適当なデータを補填する。このプロセスを実施されると、このwebで公表しているような差分が発生するが、ほとんどどのような劣悪なディスク・・・例えばトラック・アット・ワンスで書き込まれたような・・・各継ぎ目で最低180サンプル分の連続したVエラーが出る・・・)でも読み込み可能だ。 これに対して精密に書き込まれたマスターディスクの場合、一切のエラー訂正は入らずマスターに格納された全てのデータはそっくりそのまま金型に焼き付けられる。当然マスターディスク上にあるエラーはそのまま製品にも持ち越されることになるため、細心の注意をはらってマスターは作成される必要がある。これが本来のレッドブックに準拠するU−マチック・マスター相当の工程なのだが、最悪エラーが出る度にクライアントに報告し善処を要請しなければならない。〈松コース〉である。 〈竹コース〉 竹コースは松と梅の中間で、読み込みは低速CLVでデータストリーム的には通常のCD再生同様で、なおかつ再生時にエラー訂正が入るプロセスである。エラー訂正は入るがVフラグ管理はなされており、オーディオデータレベルでのマスターとレプリカの同一性が確保されたプロセスである。 松コースは本来あるべき生産工程であり、データの同一性に関して最も高品質である。しかし、どのコースを選択するかは現実問題として「工場まかせ」であり、客に知らされることは無いようである。しかしこれらは明らかに異なる方法であり結果である音も異なる。誰もが高品質の音を望むが、この松コースを工場が選ぶか否かは、基本的にはマスタリングを行う者と工場の技術上の信頼関係により初めて決まることである。松コースを望んでも、エラーだらけのマスターを納品されたのでは仕事がはかどらないし、あげく工場側にもどうせ大した内容では・・・という開き直りもあるかもしれない。 では松コースを指定し、問題を発生させない為にはどのような対策があるのだろうか。 それは、マスターディスクの物理的完全性をマスタリングを行う側で保証しなければならないことが第一である。エラーには軽微なC1、C2エラー、重篤なVエラーがあるが、これらに関してC2/Vエラーに関しては「0」を保証する必要がある。つまり書き込み装置だけではなく、書き込み後に検査するための装置を用意しなければならない。また書き込まれたデータのアナログ的レベルである「アイ・パターン」も一定範囲に納めなければならない。 現在私のラボで完全管理されているのはVエラーとアイ・パターン・レベルで、C1、C2に関してはまだ不完全なようで、今回一部でC2が存在していた旨工場から報告があり、反省とともに管理プロセスを見直すことに着手している・・・。 [作業工程8 プレスマスターの物理評価と諸元検証] CDDA・・・・・(CDを音楽用のメディアとして「レッドブック」に準じたフォーマットで書き込んだもの。後にCD−ROMとしてデジタルデータ一般にも用いられるようになり、区別するためにCDDAという名称を用いるようになる。両者の根本的違いは「エラーに対する耐性」で、CD−ROMの方がより重篤なダメージに対しても強力に復元できる。CDDAの方がデリケートなのであるが、その分より多く(長時間分)のデータを収納できる。そこでCD−RにはCDDAとしての収録時間と、CD−ROMとしてのデータ容量の両方が記載される。仮に〈650MB/74分〉のメディアでは74分分のデータ容量は音声データ分の単純計算でも74(分)×60(秒)×44100(サンプル)×2(チャンネル)×2(バイト)=783216000(バイト)=783.2MBで随分大容量であることがわかる。実際にはさらにオプションのデータがあるため800MB分を超える。 同じメディアでもwav形式で書き込むと、650MB分=650000000/(60*44100*2*2=61.4分しか入らない。この違いは音の善し悪しではなくデータの「エラー耐性」であることに注意)・・・・・形式のCD−Rでマスター作成するようになって久しいが、前章で記述したようにこのCDDAをどのように読み取り金型に焼き付けるか、という単純な問題ひとつとってみても工場毎にデータストリームに対する解釈が異なっている。工場によっては選択肢として顧客の思わくとは無関係にコース選択するところや、最初から〈梅コース〉しか存在しないところなど。そんなバカな!と思う読者もいるとは思うが現実に″JON&UTSUNOMIA″を制作時に最初に金型を起こしたオプテック(株)(倒産)では〈梅コース〉しか存在せず、その工場で制作された全CDは同様の精度しか持っていなかったことが証明されている。しかしこの工場は某大手ドライブメーカーのリファレンスCDも一手に作成している、品質が自他ともに認められる優良工場なのである。要は、現在のCD板の主流はCD−ROMなのであり、CDDAはその片手間に製造される、そんなところまでセールスやステータスが低下している存在なのだ。 我々原盤制作者がこのような現状で出来うることとは、まずこの現状を理解し、どのような読み込みであっても、オーバーオールに最大限に情報が出力できる、そんなマスターディスクを作成することである。 フォーマット上は″ソニック・ソリュージョンTM″で作成される″PMCD″は最もトラブルが少ないとは言われているが、それとて検査検証体制に関しては十分とは言えない。なぜなら書き込んだドライブと同一のドライブで読み込めても、書き込まれたデータそのものはアナログであり、その再生互換性やマージンは第三者的ドライブ(私のラボではレッドブック準拠の1倍速CLV長波長レーザーヘッドの標準的CDプレーヤを用いて検査している)で検査しなければならないからだ。検査項目は重要項目から順に、ピット深度、データ連続性、Vフラグの有無、C2エラー、C1エラーで、以下TOC/PQ、リードイン長、リードアウト長、などである。それぞれピット深度はアイパターン・レベル、データ連続性はVフラグの有無で、Vフラグ、C1、C2エラーはCDプレーヤ内のデータ処理チップからの出力で評価できる。私のラボではそれらのエラー出力はPCに取り込まれ、グルーピング後にタイムスタンプ付加しファイル化することで分析および評価材料とされる。 実際に各プレス工場により、納品されたマスターCD−Rの評価方法は異なり、いわゆるカッティング・シミュレータと呼ばれる予行演習機で検証した後、一括して金型作成を行う〈竹コース〉を主力とする工場、いきなりとにかく読み込み、データストリームの再作成を行ってしまう〈梅コース〉専門工場、メディアをビットレベルで読み込み、専用ソフトでストリームチェックを実施、その後のプロセスを振り分ける工場など様々であるが、いずれの場合でもチェックに引っ掛かる毎に原盤制作者に問い合わせが来る。チェックの厳しさや項目が工場毎に異なり対応もそれぞれであるが、近年問い合わせの手間を惜しむのか、そのままプレスに突入する場合多い。本来は、金型が作成された時点で″テストプレス″盤が送り返され、それを制作側で評価、その後承認し本プレスに入る、という手順だったものがここ2年程前から、各工場とも簡略化されてきている。 個人的には的確な問い合わせ合戦の後テストプレス盤の評価で祝杯を上げたいのだが、最近はその楽しみがない。 冒頭の格言 「正常な美ほどつまらないものはない。異常だからこそ美しいのだが・・」 に込められた意味など。  最後に「が」がついていることがポイントで、これにより 1)美の存在が「常で無いこと」によって支えられており、「常になる」と美ではなくなってしまうこと 2)そんな当たり前の事すら「コピー」の利便性の前には無力なのか・・・ 3)異常だからといって美しいわけではない 4)正常とは何かと言う疑問 ・・・・などが提起したつもりだ。 〈 AFTER DINNER 初期作品のリマスタリングに寄せて 〉 6 宇都宮 泰 [フルビット解消処理] 新たに作成されたリマスター後のマスター(以下オリジナル・リマスター)はfs=48KHz/24bitであり、これをフォーマット変換しCDフォーマットの44.1KHz/16bit信号にすることはここまでに述べたが、これ以外に処理しなければならない問題がある。リマスターを作成するときに飽和領域(クリッピング)を積極的に使用したことは上記したが、最終的製品であるプレス盤にフルビット(クリップ)を残さない方が良いという意見がある。これはCDプレーヤに内蔵されているD/Aコンバータがフルビットを含む場合とそれ以下の場合でサウンドキャラクターが異なり、フルビットがあるとプレーヤ間の音のバラつきが大きく表れ、場合によっては既にあるクリップ歪み以外に新たにそこで歪むことすらあるという説。もう一つはPCM−1610/30や民生用PCMアダプターのユーザーなら知っていると思うが、フルビットが存在する録音テープ(どちらもビデオテープを用いるので)はフルビットを使用していない録音テープよりエラーレートが増大する(エラー訂正能力が弱まる)というもので、やはり程度の差こそあれ、DATやCDメディアでも同傾向があるという説である。 私の個人的認識としては、どちらも一定の根拠を認めることができるが、要は「程度モン」であるように思う。私はポップス以外の通常のマスタリングでは、フルビットを無処理で納品しているし、これが問題になったことは今のところ皆無である。これはフルビットの頻度が一定以下であることから、処理を行うことによる「損失」の方が大きいからと考えている。 しかし今回は飽和領域の積極的利用を行っているために、フルビット頻度が非常に高く何等かの処理を行う方が安全性が高いと判断。フルビットの頻出するオリジナル・リマスターのデータを掛け算し−1dBすることで、ディスク通しての最大レベルは−1dBに設定された。設定できる最大レベルは−0.1でも−0.5dBでも良いが、これらの演算は掛け算命令であり、掛ける数値により端数の出方が変わり、それは音情報の損失度合に影響する。最も端数が出ないのは−6.0dBで丁度1bit分LSB側にシフトした状態であるが、これではレベルが下がり過ぎてしまう。その近隣でなるべく高い数値で且つ解像度を保っている数値を選択すると−1dBという結論に至ったのであるが、これは計算アルゴリズム等の影響も受けることから、やはり今後の課題と言える。 [作業工程6 サンプルの作成・送付および各権利者からの承認取得] 作業が一段落したらサンプルを作成する。作成したサンプルはスタジオ以外の再生環境で再生し仕様(いわゆるオーディオCDプレーヤで再生したときに、設定通りの場所から再生でき、期待される心理効果を発揮するか確認する。スタジオ以外の再生環境に存在する要素とは、騒音レベル、スピーカーの仕様の違い、ルームアコースティックの違いなどである。 これはオリジナル・アナログ盤を発表したときにも行ったことであるが、やはり当時とはオーディオ事情が相当変化したことは確かなようだ。また、マスタリング作業そのものの仕様とも関係するが、今回のリマスターは、より高い聴き取りレベル(大音量聴取)に対応するように設定された。具体的に一般法則があるわけではないが、ミックスを行う際に期待される聴き取りレベルを想定しバランスや音作りを行う。完全に同義というわけではないが、大音量で聴いてもらいたい音楽は一般的に大音量でモニターしながら音作りやバランスを、小音量聴取を望ならそれに対応する音量でモニターしながら音作りやバランスを整える。この作業により自動的に聴取レベルの設定ができるのもなのである。 今回リマスターするにあたり、この想定聴取レベルをどれ位にするか検討した。もともとのオリジナルが「中の大」くらいで、且つあまり明確な音量設定が無いつくり(大音量聴取してもサウンド的快感があまり増大しないつくり)になっていたが、今回レベル分布の変更を行うことから、ダイナミックレンジの拡大と大音量聴取時の快感増大・・・レベル分布と最大レベル時のスペクトルバランスにエントロピー0を持たせる・・・(なんてことを平然と語ることが私への反感の原因であることは良く知っている)ように工夫した。試してみてほしい。 各権利者からの承認であるが、この権利者とは今回の企画と資金投入を行うディスクユニオン社とAFTER DINNER側責任者であるHacoの両名である。しかし道義的にはオリジナルの制作者が私であるので、本来的には出版に関する全権利は私に集約されているべきなのだが・・・。まあ、現実の問題として、この出版物が穏やかに再版できるためにはこの2者と出版元の了解が必要なのだろう。 さてサンプルが完成した時点で入稿締切りの2週間前であったが、直ぐに承認を得るために発送した。回答は出版社側は「特に問題なし」で、Haco側が、曲間のツナギが短すぎるのではないか、というものであった。無論調整するだけの時間的余裕はあったものの、その指摘の原因を考えると、上記した「設定聴取レベルの増大」に原因があるという結論に至った。まんまとHacoはその設定にひっかかり、相当な大音量聴取を行ったようである。このアルバムでは現在の私の作品群のように「説明のできないFI,FO(フェードイン、フェードアウト)は用いない」という主義が確立しておらず、割りと多様しているが、大音量聴取を行うとこのFI/FO部分がカサ上げされ、その結果曲間が短縮して聞こえてしまうのである。 この検証結果をHaco側に伝え、一般リスナーが聴取するであろう音量で、再度聴き直すよう要請したところ、「問題無い」との承諾。もう一転Haco側からの指摘は「髪モビールの部屋」との繋がりが悪い、というものであったが、これはもともとつながるように出来ていないことと、私自身がそれを望んでいないこともあり、Haco側に了解を求めた。 この文章は「リマスター論」としても書いているが、この件にについてまとめるなら、全ての作業や結果を権利者が無条件に受け入れてくれることは希で、多くの場合さらなる注文や指摘が帰ってくる。その場合、もし自分自身がはっきりしたビジョンを持って仕事をしているなら、注文や指摘に対して、そうできない理由やそのビジョンを分かり易く説明できなければならない。闇雲に「客は神様」などと言い訳しながら注文や指摘を受入れても、多くの場合「真の完成」には近づかない。私の門下にもこの泥沼にハマり込んでいる輩がいるが、永遠に脱出できず、あげく不信感だけが残るであろう。あくまではっきりしたビジョンや戦略があっての話であるが。もっと言うなら、リマスターする者はこの仕事の範囲内で品質や評価まで保証しなければならない道義的責任があるし、説明責任もある。 [作業工程7 プレスマスターの作成] 各権利者から承認が得られたら、プレス工場に納品するマスターを作成する。CD/CDrの記録フォーマット全てについて理解することはなかなか困難な事で、これらのメディア専門のエンジニアならいざ知らず、マスタリング/リマスタリング・エンジニアはどちらかと言えば「クリエーター」に近い人種であることが多い。かく言う私も「音楽家」を名乗っているし。 しかしこのプレスマスターに関しては、「クリエーティブ」な内容よりも物理的諸元が優先され、これが守られていないと製品であるCDが正常に作成されない。詳しくは「マスタリング論」を参照いただきたいが、要点をかいつまんで記載する。 〈松/竹/梅〉 マスタリング・クリエーター達が作成したプレス用マスターはプレス工場に納品され、そのディスクから音声のデジタルデータが読み出される。ここが落とし穴なのであるが、入っている音声データはデジタルなのだから、そっくりそのままプレス金型にデータ転送されると信じている者が多いことだ。これはPCでCDをCD−Rにコピーしたりする場合にも1倍で読み込み/書き込みを行おうと、32倍速で行おうとデジタルなら同じ結果が得られるという信仰に似ている。1倍と32倍では大違いだ。どのように違うか、についてのデータは「マスタリング論」「JON&UTSUNOMIA」関連の論説に公表されている。ジッタや不正ピット以前に、マスターとレプリカの間に差分がでるのである。つまり明らかに変造されたデータになるのである。音質がどうこう言う以前の問題だ。 プレス工場も商売なので、持ち込まれるマスターがどの程度のグレードのものか一々客を評論・技術レベル・ランキングはしないが、真剣に精根込めて作り上げられたマスターか否かにかかわらず、とりあえずそのマスターで「苦情なく音が出なければ」ならない。オーバーオールに問題が出にくく、高速に作業が完了し、極力「聴かずに済む」方法が、工場としては採算性が良いことになる。〈梅コース〉である。 このコースはメディア上のデータストリームに多少のエラーが存在しようと、そのままガンガン読み込み、勝手にエラー訂正し、連続した新たなストリームを作り、それを金型に焼き込む。丁度PCでコピーを高速作成するのに似ている。この方法はメディア上にVエラー(完全訂正が出来ない重篤な欠損があっても無視し、適当なデータを補填する。このプロセスを実施されると、このwebで公表しているような差分が発生するが、ほとんどどのような劣悪なディスク・・・例えばトラック・アット・ワンスで書き込まれたような・・・各継ぎ目で最低180サンプル分の連続したVエラーが出る・・・)でも読み込み可能だ。 これに対して精密に書き込まれたマスターディスクの場合、一切のエラー訂正は入らずマスターに格納された全てのデータはそっくりそのまま金型に焼き付けられる。当然マスターディスク上にあるエラーはそのまま製品にも持ち越されることになるため、細心の注意をはらってマスターは作成される必要がある。これが本来のレッドブックに準拠するU−マチック・マスター相当の工程なのだが、最悪エラーが出る度にクライアントに報告し善処を要請しなければならない。〈松コース〉である。 〈竹コース〉 竹コースは松と梅の中間で、読み込みは低速CLVでデータストリーム的には通常のCD再生同様で、なおかつ再生時にエラー訂正が入るプロセスである。エラー訂正は入るがVフラグ管理はなされており、オーディオデータレベルでのマスターとレプリカの同一性が確保されたプロセスである。 松コースは本来あるべき生産工程であり、データの同一性に関して最も高品質である。しかし、どのコースを選択するかは現実問題として「工場まかせ」であり、客に知らされることは無いようである。しかしこれらは明らかに異なる方法であり結果である音も異なる。誰もが高品質の音を望むが、この松コースを工場が選ぶか否かは、基本的にはマスタリングを行う者と工場の技術上の信頼関係により初めて決まることである。松コースを望んでも、エラーだらけのマスターを納品されたのでは仕事がはかどらないし、あげく工場側にもどうせ大した内容では・・・という開き直りもあるかもしれない。 では松コースを指定し、問題を発生させない為にはどのような対策があるのだろうか。 それは、マスターディスクの物理的完全性をマスタリングを行う側で保証しなければならないことが第一である。エラーには軽微なC1、C2エラー、重篤なVエラーがあるが、これらに関してC2/Vエラーに関しては「0」を保証する必要がある。つまり書き込み装置だけではなく、書き込み後に検査するための装置を用意しなければならない。また書き込まれたデータのアナログ的レベルである「アイ・パターン」も一定範囲に納めなければならない。 現在私のラボで完全管理されているのはVエラーとアイ・パターン・レベルで、C1、C2に関してはまだ不完全なようで、今回一部でC2が存在していた旨工場から報告があり、反省とともに管理プロセスを見直すことに着手している・・・。 [作業工程8 プレスマスターの物理評価と諸元検証] CDDA・・・・・(CDを音楽用のメディアとして「レッドブック」に準じたフォーマットで書き込んだもの。後にCD−ROMとしてデジタルデータ一般にも用いられるようになり、区別するためにCDDAという名称を用いるようになる。両者の根本的違いは「エラーに対する耐性」で、CD−ROMの方がより重篤なダメージに対しても強力に復元できる。CDDAの方がデリケートなのであるが、その分より多く(長時間分)のデータを収納できる。そこでCD−RにはCDDAとしての収録時間と、CD−ROMとしてのデータ容量の両方が記載される。仮に〈650MB/74分〉のメディアでは74分分のデータ容量は音声データ分の単純計算でも74(分)×60(秒)×44100(サンプル)×2(チャンネル)×2(バイト)=783216000(バイト)=783.2MBで随分大容量であることがわかる。実際にはさらにオプションのデータがあるため800MB分を超える。 同じメディアでもwav形式で書き込むと、650MB分=650000000/(60*44100*2*2=61.4分しか入らない。この違いは音の善し悪しではなくデータの「エラー耐性」であることに注意)・・・・・形式のCD−Rでマスター作成するようになって久しいが、前章で記述したようにこのCDDAをどのように読み取り金型に焼き付けるか、という単純な問題ひとつとってみても工場毎にデータストリームに対する解釈が異なっている。工場によっては選択肢として顧客の思わくとは無関係にコース選択するところや、最初から〈梅コース〉しか存在しないところなど。そんなバカな!と思う読者もいるとは思うが現実に″JON&UTSUNOMIA″を制作時に最初に金型を起こしたオプテック(株)(倒産)では〈梅コース〉しか存在せず、その工場で制作された全CDは同様の精度しか持っていなかったことが証明されている。しかしこの工場は某大手ドライブメーカーのリファレンスCDも一手に作成している、品質が自他ともに認められる優良工場なのである。要は、現在のCD板の主流はCD−ROMなのであり、CDDAはその片手間に製造される、そんなところまでセールスやステータスが低下している存在なのだ。 我々原盤制作者がこのような現状で出来うることとは、まずこの現状を理解し、どのような読み込みであっても、オーバーオールに最大限に情報が出力できる、そんなマスターディスクを作成することである。 フォーマット上は″ソニック・ソリュージョンTM″で作成される″PMCD″は最もトラブルが少ないとは言われているが、それとて検査検証体制に関しては十分とは言えない。なぜなら書き込んだドライブと同一のドライブで読み込めても、書き込まれたデータそのものはアナログであり、その再生互換性やマージンは第三者的ドライブ(私のラボではレッドブック準拠の1倍速CLV長波長レーザーヘッドの標準的CDプレーヤを用いて検査している)で検査しなければならないからだ。検査項目は重要項目から順に、ピット深度、データ連続性、Vフラグの有無、C2エラー、C1エラーで、以下TOC/PQ、リードイン長、リードアウト長、などである。それぞれピット深度はアイパターン・レベル、データ連続性はVフラグの有無で、Vフラグ、C1、C2エラーはCDプレーヤ内のデータ処理チップからの出力で評価できる。私のラボではそれらのエラー出力はPCに取り込まれ、グルーピング後にタイムスタンプ付加しファイル化することで分析および評価材料とされる。 実際に各プレス工場により、納品されたマスターCD−Rの評価方法は異なり、いわゆるカッティング・シミュレータと呼ばれる予行演習機で検証した後、一括して金型作成を行う〈竹コース〉を主力とする工場、いきなりとにかく読み込み、データストリームの再作成を行ってしまう〈梅コース〉専門工場、メディアをビットレベルで読み込み、専用ソフトでストリームチェックを実施、その後のプロセスを振り分ける工場など様々であるが、いずれの場合でもチェックに引っ掛かる毎に原盤制作者に問い合わせが来る。チェックの厳しさや項目が工場毎に異なり対応もそれぞれであるが、近年問い合わせの手間を惜しむのか、そのままプレスに突入する場合多い。本来は、金型が作成された時点で″テストプレス″盤が送り返され、それを制作側で評価、その後承認し本プレスに入る、という手順だったものがここ2年程前から、各工場とも簡略化されてきている。 個人的には的確な問い合わせ合戦の後テストプレス盤の評価で祝杯を上げたいのだが、最近はその楽しみがない。 冒頭の格言 「正常な美ほどつまらないものはない。異常だからこそ美しいのだが・・」 に込められた意味など。  最後に「が」がついていることがポイントで、これにより 1)美の存在が「常で無いこと」によって支えられており、「常になる」と美ではなくなってしまうこと 2)そんな当たり前の事すら「コピー」の利便性の前には無力なのか・・・ 3)異常だからといって美しいわけではない 4)正常とは何かと言う疑問 ・・・・などが提起したつもりだ。 〈 AFTER DINNER 初期作品のリマスタリングに寄せて 〉 7 宇都宮 泰 ’05年4月17日 −−巻末付録−− 冒頭の格言 「正常な美ほどつまらないものはない。異常だからこそ美しいのだが・・」 に込められた意味など。  最後に「が」がついていることがポイントで、これにより 1)美の存在が「常で無いこと」によって支えられており、「常になる」と美ではなくなってしまうこと 2)そんな当たり前の事すら「コピー」の利便性の前には無力なのか・・・ 3)異常だからといって美しいわけではない 4)正常とは何かと言う疑問 ・・・・などを提起したつもりだ。 Hacoからの訂正要求 原文ママ 4月13日 0時6分 Hacoです。文章ご連絡ありがとうございました。技術的なことはあらためて勉強になって良かったです。事実関係でいくつか記憶違いの誤り箇所があります。Text3:「加速度...」は私自身のミックスです。あれはタゴマゴのカセットにもソロとして収録。宇都宮さんが再ミックスしたのは「夜明け...」です。「おじょうさん...」は「本人によれば原曲があるそうだが、、」は中世舞曲の雰囲気を出した私自身の曲です。詳細はCDブックレットの記載クレジットをご参照ください。Haco/アフターディナー(作詞作曲/総合プロデューサー) ココマデ 要求の内容は「加速度...」のミックスは誰が行ったか、と「おじょうさん...」に原曲があるかの2点である。前者は、確かにタゴマゴのコンピレーションカセットに収録されたテイクはHacoによるミックスだが、そのコンピレーションカセットが完成後、詳細に他曲と比較検討。その結果さらなる楽曲としての完成度が必要という結論に至った。アルバム「グラスチューブ」に収められているテイクはその結論をふまえ、そのままでは他の楽曲との整合性が悪く、ミックスのみリテイクしたものである。当時Hacoの立ち合いがあったか、あるいは参加していたか定かではないが、彼女の制作したオリジナル版に比べ、ダイナミックス/SN比、プレゼンスなどの改善が計られたテイクであることは間違いない。 後者は、そう言えばそういうことでしたね! ということで。 冒頭でHacoから著作権関係について、このテキストが侵害している旨の指摘があったのであるが、リマスターによって新たな著作権が発生するのか(リコメンデッド版が現行流通しており、新録音でもないにもかかわらず)、またこのリマスターの実質的著作活動(楽曲に関する作業の全てと、その独自の創意工夫について、Haco側から何一つ指示されたものではない)は、このテキストに記述したことが全てなのだが、それでも彼女の新たな著作物、知的財産となるのか、一体何の権利で私の仕事の痕跡を抹殺したいのか、理解に苦しむ。本編で記述したように印税などの全収益権は確かにHacoのものであるが、「誰の行った仕事か」について過去の史実の改変や今回の業績の隠蔽まで行えるものではない。この「膠着状態」があるからこそ、私とHacoのどちらか一方のみの意志だけでは、これまで再発やリマスターできなかったのではないか? こうやって何とかリマスターが発表できるだけでも大変喜ばしいことではないのか? ’05年4月20日 以前から印刷物などの版下を請求していたのに、どういうわけか全くこちらには送付されなかったのだが、今日完成品と付属物が送付されてきた。 版下が送られて来なかった理由がわかった。何と知的権利に関するジャケット表記が全面削除され、かわりに(C)HACOの文字が踊っており、しかもJASRACの登録もしてあるではないか! (無論、承認した覚えはないし、そのような歴史的事実も無い。また(C)AFTER DINNERなら何の問題もない) まあ、全収益権はすでに口頭でHACOに譲渡してあるので、実質的な金銭的損失には直接にはつながらないのだが、なぜこのようなことになっているのだろう。早速HACOとディスクユニオンに厳重な抗議と理由説明を求めた。(この時点では法的措置も準備する) まずオリジナルでは存在するジャケット裏面の大フォントで表示された権利者表示(:produced by MUE PRODUCTS recorded at MUE LAB designed by A.F.ZAURUS の3項目)が削除され、デザイン的にも不自然な空白が生じている。またオリジナルでは裏面は倒立印刷されているが、正立に変わっている。 彼らからの説明では「フォントがどうしても見つからず、最終段階で断念した」のだとか。 オリジナルジャケットの裏面が倒立しているのには深い理由がある。当時自主制作でアルバムを出版することは容易ではなく、ジャケット材料ひとつとってみても入手そのものが困難で、このアルバムでは無地の組み立て済みの製品を発注し、シルク印刷する手法がとられた。その際に裏面デザインはHACOの肖像部分のみフチ無しになるというものであったが、ジャケットが組み立て済みであるため縁の折り返しが邪魔になり、正立位置印刷ではHACOの背中部分に縦線が入ることが判明。そのため倒立印刷することになったのであるが、ディスクユニオンの説明ではHACOは「ただの間違い」と説明、正立に変更したのだそうだ。 私が知る限りただの1枚も正立ジャケットは存在せず(リコメンデッド版は正立。また試作品として5〜6枚縦線入り正立ジャケットがあるが、出荷されていないはずである)究極の再現を目指すのなら、この点についても再現すべきなのではないか。(そのせいでHACOの背中の外側にジャケット縁がきている) ただの間違いでは無く製造工程の重要な痕跡であり、再現されるべき「情報」なのであるが、そんなことも「新著作者」は忘れてしまったのか。 旧権利者の承認無く実に23ヶ所の文字情報が変更され、そのうち9ヶ所が著作に関する変更である。また主要部分はJASRACに登録されているようだ。 この問題について様々な角度から検討し、同時に音楽家、評論家、音楽史家などの意見をあおぎ、当初完全に頭に血が昇っていた私も、現在では多少冷静さを取り戻している。論点はこうだ。そもそもの「知的権利とは著作した時点で自動的に発生する」ものであり、売買や譲渡ができる性質のものでは無い。ちょうど「罪を犯した者がその事実を金や力関係で拭い去ることは道義的には不可能である」ことの裏返しである。 従って彼らが法的手続きによって不当に権利を取得したように私に思えても、それに対して法的手段で対抗しようとすることは一見正当に見えるが、そもそも私の生み出した作品は、そのような法的保護など必要としないほどの強さと完全さを合わせ持っており、この後に及んでわざわざ権利の主張など必要が無い、という結論に至った。 私が主張などしなくてもアカデミズムの連中が調査、研究し結論してくれるであろう。現在までの私とHACOの作品を並べてみるまでも無く、私の作品は高いポテンシャルを保ち続けているし、進化しつづけている。私が吹き込んだ命はどの作品に於いても、色褪せることなく、時間の流れや価値観の変化にも耐え抜く力を持っている。こんなことにかまってなどいられない。 ちなみに自然権である知的権利を侵害した者には、その罰も自然発生すると因果律は教えている。例えばその知的権利の正当な所有者ならば、その音楽的意味や構築の方法が説明できるが、不当所有する者には不可能であるし、当然再現もできない。表現者として恥ずかしいことだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−☆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 今回のリマスターはビジネスというよりも、権利者としての責任と義務において最善を尽くしたものだ。しかし新たな(C)設定(著作権設定)により、その任を解かれていたのか。 とは言え、もしこの問題を私が先に知っていたら、今回のリマスターに専念することはできなかったろうし、企画そのものが成功せず、旧来のマスターで出版されていたら、私の不満はもっと大きかったかもしれない。 非常に見苦しい文章で締めくくらねばならない事が大変残念であるが、旧権利者として自らの責任と義務において最低限の説明と記述に留めた。また、この件が発端でHACOに対して理不尽なまでの非難があった場合、それを弁護することまで覚悟している。 本当のところ私の心中は穏やかではなく、同時に自らの器の小ささを思い知る今日この頃である。私の一連の文章は次世代へのプレゼントであり、後に続く者へのエールであり、同時に説明責任と思っている。その点で私から見ればHACOもまた後続者であり、私には叱咤激励の義務があるのだろう。 アフターディナーに関しては自らが定めた方針戦略により、いままでその音楽内容についての説明責任を果たしていなかった。しかし冒頭目次以下部分で述べたように、私自身の任が解かれたことから、これを期にアフターディナーの音楽面や戦略を主体とした論文を著述することを約束したい。