HDR考 #6 PCベース機のために・・ 2004年1月3日 宇都宮 泰 ’04年9月30日改訂 ノついてもより有効なHDRの使用方法を考察したい。 [RAIDと電源問題] 信頼性についてDFG機の優位性は極めて高くFG機の及ぶところでは無い。それは軍事用途や宇宙開発用、航空機に搭載されているフライト・レコーダーにどちらのOSが搭載されているかを見るまでも無いことである(フライトレコーダーに至っては、連続性による絶対的信頼性から、今だにその多くでエンドレス・テープが用いられているらしい)。一方、FGであるPCではハード・ディスク・ドライブの低価格化を反映してか、RAID構築が流行しているようである。これは本来1台のドライブで済ませるところを、複数のドライブを組合せ1台に見立てて、信頼性やスピードの改善を図る手法で、大別するとスピードアップを目的としたRAID0と信頼性の改善を目的としたRAID1の2種と、その組合せがある。 RAID0は通称「ストライピング」と呼ばれ、その名のとおり複数ドライブを交互に書き込み/読み出しに使用し、理論的には使用するドライブの台数倍にスピードアップする技術である。RAID1は通称「ミラーリング」と呼ばれ、複数ドライブを論理並列で使用し互いが互いのスペアーとして機能させ信頼性の向上を目的とする技術である。(互いをスペアー化することで、不慮の故障がドライブに発生しても、残りのドライブでカバーしようとするのである。ワイアレス・マイクのダイバシティー受信のようなものと言える)また、この両者は組み合わされ4台のドライブで、ストライピングとミラーリングを同時に実現することも可能である。 筆者は実際にRAIDを常用しているわけではないが、(因に、この文章を作成しているPCは、あの8ビット機として有名なMSXに自作のSCSI2−I/F、メディアは覗き窓を付けたZIPとMO、システム/OSは固体ディスク(全S−RAM構成)というセットで、自作故RAIDは容易に可能)その努力によってもたらされるメリットはおよそ推定できる。 まず「ストライピング」はその目的がスピードアップであるため、信頼性の改善は望めない。それどころか単一のデータストリームを複数のドライブに「ストライプ状に」分割するために、トータルの故障率は個々のドライブの故障率の「積」となるため、信頼性は低下する。また有効に機能させるためには比較的特性のそろったドライブを組み合わせる必要がある(多少の不揃いはキャッシュ容量で吸収されるようであるが・・・)。 RAID1はドライブを論理並列とし、信頼性の向上を期待する手法であるが、ドライブを何台並列にしようともFATが「事後承諾」であることは変わりなく、従って電源のシャットダウン・レベルのダメージに耐性ができるわけではない。FGの現状ではA機のような耐性を得る方法は無いことから、それに替わる道具によって保護するしか無い。 [UPS(Uninterruptible Power Supply=無停電電源装置)] 最も有効な方法はUPS(無停電電源装置)の使用であるが、いわゆる録音現場あるいは録音スタジオに於いて、私はその使用や運用を見たことが無い。(私が関わる現場では頻繁に用いているし、それらの現場にアドバイスもするのだが)この装置は蓄電池、充電回路、インバータ、電源監視回路、などからなり、電源電圧が正常値のときにはそのまま出力し、電源電圧が低下すると自動的にトランスのタップ切り替えで補正し対処、さらにその補正が無効な程に電源電圧が低下するとそれまで充電していた蓄電池でインバータを作動させ、電源を継続するというものである。一連の動作は継ぎ目なく連続して作動し、電源を供給される側から見ると何事も無かったかのように振舞う。無論その間蓄電池は放電しつつ電源を供給することから、蓄電池は一定時間その状態が持続するとやがて放電しきってUPSシステムはシャットダウンする。要はその時間的猶予の間にPCを終了操作すれば良いのである。またその持続時間は使用電力から算出できるので、場合によっては電源復旧までこぎつけることができるかも知れない。(電源が復旧すると自動的にインバータは停止し、蓄電池は放電から充電に切り替わる) このような便利な装置があるにもかかわらず、多くの録音現場で見かけないのはどういうことなのだろうか。スタジオにテスターくらい常備されているものであるが、自分の使用するスタジオの電源状態、安定度も把握できていないのはどうしたことだろう。 これらはRAID以前に確保するべき安全策である。無論、筆者はDFG+UPSで運用しているし、システム構築時に電源アナライザー/ロガーによる管理を実施している。筆者の分析ではRAIDはこれらの電源対策よりは無力である。 注) ライブ録音に限らず、一般の録音スタジオの多くは多目的ビルの一室にあり、特別の電源供給やアースは取られていない。エレベーターや空調などの動力系などの起動や停止に合わせて、1000Vを超えるスパイクやサージ電圧、電源の交流波形の半波喪失等の瞬間停電は、ごく普通に見られる。これらのノイズの発生状況を調査する道具が電源アナライザー/ロガーで、接続したまま何日間か放置し、集計結果をプリントアウトまたはPCへ転送する機能を持つ。電源波形が正弦波でなかったりデューティー比が50%でないことも、ごく普通のことである。むしろ、これで装置類が何とか動作していることの方が不思議なくらいである。 注)UPSは電源が遮断したときに給電し続けるという機能は備えているが、質的能力は様々である。例えば、必ずしも出力波形が正弦波であるわけではなく、廉価版の多くは方形波であるし、周波数についても元の電源に対しての位相精度が怪しい機種も少なくない。これらの問題については実際に許容できる程度のものか、実際に録音システムを接続し繰り返しテストする必要がある。UPSがバッテリーに切り替わった途端にPCやレコーダーが停止するなどの異常を起こしたり、ノイズが混入したりすることもある。 無論正弦波で位相同期した出力で、AVR(元の電源が有効な間は、交流安定化電源としての機能)機能を持つものが望ましい。 **)ポータブルの録音装置などではバッテリーや電池で作動する機種が多いが、(ノートPCを含めて)これらの機材はAC電源よりもバッテリー/電池動作の方が安定性やノイズの点で有利なものが多く、そのバッテリー/電池の給電可能時間を正しく把握認識しておけば、最も安全な運用方法の一つと言える。しかしそのためにはバッテリー/電池の性質についてよく学ぶ必要がある・・・・。多くのポータブル機材は携帯性を重視したためか、十分なバッテリー/電池使用時間が確保されていない。業務使用するには最低6〜8時間の連続運用は1組のバッテリー/電池で行いたいものである。録音に携わる者なら、そのような仕様のバッテリー/電池パックの製作程度は可能であるべきだ。 参考までに映画用のポータブル・レコーダーとして有名なNAGRA社の製品の多くは一組のマンガン電池で8時間程度の連続運用が可能なようにデザインされている。想定される日数分の電池を用意しておけば良いのである。 [できるだけDe-fragmentationで使用する工夫 #1 ] すべてのOSについて調べた訳ではないが、多くのセットでは最初の録音時には録音指定したトラックについては奇麗な「霜降り肉配置」にセクター消費していくことから、このことを有効に利用することが考えられる。 録音を開始する前に計画を立て、何トラック使用するかを決めておき、それに従って最初のプロセスで使用しないトラックにもアナログ入力を指定し、同時に録音していく方法である。最初のプロセスで使用しないトラックに空録音するのであるが、デジタル入力を指定しない理由はオろ喜ぶべきことであろう。 この手法にはもう一つの意味がある。それはマシンの稼働状態をその録音に於ける100%に近づけ、中途で起きるアクシデント(稼働状態や負荷が変わると「マビキ」や「処理の遅れ」が突如発生することがある)を避け、代わりに「安定性」を得ようというのである。 同時にOS等のシステム/アプリケーション・ファイルの入ったドライブに録音データを共存させることは避け、録音はそのドライブと独立したドライブに作成していくことである。 K要があるためである。(後述するが、 1トラックあたり1ファイルとして認識するソフトの場合、録音データの納められたドライブのデフラグは好ましくない。デフラグ中にデータ、ヘッド共に損傷することもある。) 同様に録音データの納められるドライブは、録音毎に録音前に物理フォーマットをすることも効果ある。これは不良セクターを取り除くことと、よりDe-fragmentationに近づける点で意味がある。 [できるだけDe-fragmentationで使用する工夫 #2 ] これもソフト・ウェアにより有効な場合とそうでない場合があるが、コピーを活用する方法である。 あるソング・データがあったとして(″ソング″は複数の″トラック・データ″によって成り立つ)、そのデータを〈HD to HD〉でコピーする際に、ソング全体を一括コピーするのとトラック毎にコピーする、という方法の違いによって、新たに作成されるコピー先のファイルコンディション(セクターの使われ方)に違いが生じる、というものである。 汎用OS(Windows−OS、 MS−DOS、 Mac−OS、等)で両者は単に操作上の違いに過ぎない(結局トラック毎にコピーされる)が、HDRソフトによっては、ソング指定でコピーをすると、「複合ファイル」として認識し、セクター消費が「霜降り肉」配置になるものがある。如何に非破壊編集と言えども、作業中定期的にバックアップ・コピーをすることは必携であり、その際にこのようなソング指定を実行することで安全性と信頼性が向上する配慮があるソフト・ウェアは良心的と言える。ただし同一ドライブ内で行うコピーではあまりメリットが無いようであるが。 [非破壊編集であることを過信、あるいは頼り切らない] 非破壊であるということは、「元の情報」には手を付けず、編集や加工などの付加された操作の情報や、追加された音声情報を全て記録しておき、出力である「再生」を行う際にそれらの付加情報全てを再履行するということで、それはまるでわれわれが母体の胎内で進化の過程を再履行しなければ出産されないことを想起させられる。 この手法が近年実現された背景には、RAMおよびHDの大容量化とプロセッサの高速化がある。しかし元の情報の大きさに対して、様々な処理や加工などによる情報量の増大や求められる処理速度は「ネズミ算数式」であり、実際の操作に於いては作業の進行に伴い、動作が徐々に重くなりやがて破綻にいたる、はずである。ところが現在流通しているアプリケーション・ソフトの多くでは「とっくに破綻しているはずの状況」であるにもかかわらず、あたかも軽い処理のように軽快に作動いることがままある。 調べてみると操作上は処理を受け付けているように表示されているにもかかわらず、現実には自動的に処理に制限がかかり設定通りに処理されていなかったり、あるいは情報そのものを巧妙に「間引く」ようプログラムされていることがある。分かり易い例として前者では、フィルター(EQ/含プラグ・イン)のパラメーターを設定する際に、極端な設定例・・・例えば中心周波数=120Hz/Q=0.026/Gv=−16dBと設定し、同じ設定の素子を4っつ重ねたときにGv=−64dBとなるはずが、実際にはそれほどの減衰が得られず、幾つ重ねようと減衰量は−36dB程度(あるソフトの例に過ぎないが)止まりで、それ以上はソフト的に制限されるなど・・・。このような設定は現実の作業でも雑音除去等で想定されるものなのであるが。 後者の例は2〜3百万円までのデジタル・ミキサーでしばしば見られる挙動である。製造する側の選択肢は、「間引く」か「処理時間を延長」するかコストを顧みずハード処理能力に余裕を持たせるかのいずれかである。この選択肢の問題については開発担当者と議論したことがあるが、製造者側と使用者側の間にこの「余裕」について見解の相違があるように思われる。 デジタル・ミキサーの例はさておき、このような「機能・動作制限」や「間引き」などが使用者に無断かつ自動的に発動されることが問題なのである。 (このテキスト「HDR考」に於いてA機を「あたりまえの能力を持った」と高く評価した理由はこのあたりから考察していただきたい。現在までの検査に於いてA機に関しては「あたりまえでない」能力はダブル・シークと異様なディザ、以外に見受けられない。) このような「処理軽減工夫」が自動発動するのは、当然のことながら処理が重くなり発生する何等かの「破綻」を回避するための工夫の結果である。もしこのような工夫がなければ「破綻」は頻発し実用性は皆無となってしまうのであるが、そもそもの発端は使用者の要求に応えた結果(あるいは製造者の、使用者に対する迎合)であることを忘れてはいけない。逆の見方をするなら、優れた使用者はこの迎合を見抜き、夢のような誘惑に打ち勝つ能力を身に付けるべきである。 具体的には感覚を研ぎ澄ませ、僅かな挙動不信も見落とさず、常に論理的であるべき・・・・すなわち表示波形よりもモニターから出力される音で判断を行い、ちゃんと集中して1プロセス毎に「聴きなおす」ことである。どのみち録音や音楽制作の未来に於いて、我々人間に残される仕事は「聴いて」「判断」することだけなのだから・・・。 私の見てきたPCを導入した作業環境の多くは、モニター(聴覚上の)環境が虚弱で劣悪で「聴いて」「判断」するには程遠いように思われる。確かにPCそのものが強力な雑音の固まりであり、タスクの問題からかソフトによってはモニター音そのものが「間引き」の集積のようなセットが珍しくない。しかしその道具によって仕事し、情報を世の中に出力し、それが長年アナログ・テープによって培われた「価値」の上に成立しているのならば、その自覚を持つべきであろう。 その「判断」であるが、処理が重くなりそれらの処理軽減が自動発動する前に、処理を「固定化」しバックアップ・コピーをとることが有効である。処理を逆行できなくなることを(つまり破壊)恐れてはいけない。その後に次のプロセスを積み上げれば道具であるPCに過剰な負担をかけずにすむし、処理軽減が自動発動せず、結果として高いクォリティーを保つことができる。 CDのジャケット・デザイン等のデータを印刷会社に持ち込む際に、初心者は手直し出来なくなることを恐れてか、「固定化」せずに持ち込むことが多い。しかしこのような入稿はほとんどの場合拒否される。ひどい場合はフォントも文字コードのまま、アウトラインもとらずに入稿されるが、これでは印刷のしようもない。表示すらできない。「完成したデータ」とは見なされないのである。多少極論か、とは思うが、「完成」に近づけるとは「手直し」できなくする、あるいは「破壊」と同義とも言える。つまり「非破壊」で「固定化」されていないものは、どれだけ手が込んでいようと、何をしようと「完成」には至れないということなのである。ここに「非破壊」の甘く破滅的な誘惑が存在する。 自分の作業やイマジネーション(業務としては軽視されるが)を信じ、自信と責任を持つべきである。その中から「価値」は自動発生し音楽出版物は再び売れるようになるのだと思う。PCベース機は万能でそこから新たなイマジネーションが生まれる、などというが、その「万能」であるがゆえに生じる「無秩序」に我々は耐えられるのであろうか。ましてその「万能」の一つ一つが不完全で確実性に欠ける現状で、そこに操作者の確信的なルールを確立できるのであろうか。