40桁印字 マスタリング(Masterring)論 2003年1月30日 宇都宮 泰 ** 序説 ** 筆者は自身の制作した音楽作品のほとんどを、自らマスタリングしている。(注、’80年以前のコンテスト期と83年までのAfter Dinner、および少年ナイフ国内版は他者に依頼している。)また、例外的に他の制作者の作品のマスタリングを手掛けることもあるが、そのほとんどはM.U.E.Archives関連のリマスターである。従ってこのシリーズに著される技術、哲学は一般業務としてのマスタリングと相反する部分があるが、その基本的概念や手法は一般論としても有効なものと思う。 この執筆は筆者の手掛けた作品や、その方針が近年それなりに評価されてきたことと、後進達のあまりの不甲斐なさや的外れの議論に終止符を打つべく企画されたものである。実際のところマスタリングについての技術や思想は明確に定義されているわけではなく、また体系的に教育(特定の企業内の研修は除く)や公開が行われているわけでは無く、それゆえに「マスタリング」という言葉だけが独り歩きしているのが現状である。 しかし、目的や必要条件は明白であり、それを正しく理解していないことが、現在の音楽出版の危機的状況にもつながっていると考えらることから、このシリーズの執筆を決意した。従って入門者だけでなく、現時点で業務としてマスタリングを行っている者、また現在の音楽出版やその思想に疑問を抱くリスナー諸氏にも読破されることを望みたい。 質問や疑問に関しても極力応えるよう努力するので、遠慮無く問い合わせ願いたい。 * マスタリングの思想 音楽出版はスタジオ等で制作されたソースを、様々なメディアや形態で出力(同時に販売)されることを指すが、メディアはそれぞれ異なった物理特性や心理的特性、あるいは営業特性を持つ。例えば、CDとTVコマーシャルでは物理的伝達特性であるレベル−周波数特性、ダイナミックレンジは言うに及ばず、想定される年齢層や再生音量、露出時間に至るまで大きく異なっている。従ってCDとTVコマーシャルの両方を満たすバランスやダイナミックス、あるいはアレンジや構成を実現することは困難で、CDはCD用にTVコマーシャルはTVコマーシャル用に最適化する必要がある。 最適化とは、制作者の目的とする再生状態に最も近似の伝送が実現できるように、あらかじめ、変質する要素について削減したり強調したりすることを指す。例えばテレビ受像機に内蔵されるスピーカーやアンプはオーディオセットよりも虚弱で、大音量や小音量の再生は困難で、帯域も狭い。またコマーシャルに限定すれば、他のコマーシャルや番組より少しでも印象に残ることが目的となる。つまり再生できる音量や帯域を超える信号の使用は伝達されないだけでなく、歪みやバランスの変質の原因となる。このことから変質が予想される信号成分をあらかじめ調整し変質事故を未然に防ぐ必要がある。とくに音量については顕著で、一般的には「常に、歪む限度いっぱいの大音量で」かつ「一定」に保つように加工される。この加工を専門用語では「ダイナミック・レンジの圧縮」と呼び「ゲイン・リダクション」と呼ばれる道具あるいはアルゴリズムが用いられる。とくに「常に、歪む限度いっぱいの大音量」に加工することを「マキシマイズ」と俗称している。 厳密にはマキシマイズ加工そのものがバランスの変質の原因となることから、十分予算と時間がある場合には、用途に応じミキシング・バランスの異なるマスターを起こす必要がある。 このダイナミック・レンジの圧縮の度合は、各放送局独自の基準が設定されており、とくにFMラジオでは顕著で、NHK−FMと民放FMでは受信したときの音量が大きく異なるので知っている人も多いだろう。民放FM、とくにカーステレオ・リスナーを設定している局ではこのマキシマイズが激しく(大阪ではFM802など)少々歪んでいたりする。理由は、自動車内は一般家屋での聞き取りよりも、エンジン音などの騒音が大きく、そのような聞き取り条件でも明瞭に聞こえることを目的としているからである。先の「異なるミックス」の例では、TVコマーシャルやドラマとのタイアップ曲が気に入ってCDを購入したら、えらく印象が異なっていた、などの経験がある人もあるだろう。 CDについても同様の加工が行われるが、その場合はオーディオ・コンポ(コンポーネントでは無い!)やラジ・カセが視野に入れられる。音楽出版業界の認識として、同様の音楽が(ポップスなんてどれも「同様」かも)複数同時に出版されたと仮定して、良く売れるのは大きな音量の「製品」である、という考え方が支配的である。このことから同様にゲイン・リダクションを用いたマキシマイズが行われるが、近年CD出版が低迷しそのことが「よく売れたい」という強い切なる願望に結び付き、結果として常識を逸脱した激しいマキシマイズが横行する現状を生み出した。 そもそも常識を逸脱した激しいマキシマイズを施された音楽は、如何に耳当たりが良かろうとも「異常な音」で「情報量が減らされた音」であるため、「聴くべき部分が無い」ことからすぐに飽きてしまうのである。 * 本来のマスタリングの意味 アナログ・レコードの時代、出版物であるレコードはその物理特性がマスターテープの特性よりも必然的に悪く、ほとんど全てのパラメーターに於いてマスターに劣っていた。唯一優れているのは大量生産時のコストと長期保存性くらいだろうか。また、再生条件のバラツキも壮絶で、普及品の電蓄と高級オーディオの能力的差異は非常に大きいと言えよう。それゆえマスタリングに求められる要求も切実で、「明らかに劣るメディア」へ「如何に情報量を損わずに」刻み込むかを日夜追い求める技術であった。マスタリング技術者に要求される資質や能力も高度で、マスターテープに録音された「音の主体」を「解釈」し、限られたパラメータの中で「よりマシ」な音を実現する、極めて挑戦的職業であったと言える。 必要とされる技術は主に下記の4つに分類される。 1)マスターテープの再生技術 マスターと言っても様々な仕様があり、オープンリールだけでも1/4インチ幅、 1/2インチ幅、テープ速度は19、38、76cm/s、再生イコライザーはNAB ,CCIR,IEC,BTS,規定レベル185、250、520nwb/m等である が、仮に比較的頻繁に使用される仕様の1/4インチ幅、38cm/s、250nwb /m、NABであったとしても、速度、レベル、イコライザーともに微調整が必要であ る。これ以上に重要なのがヘッド・アライメントと呼ばれる再生ヘッドの機械的精度の 調整が不可欠で、場合によってはテープ張力や走行系の調整が必要な場合がある。(詳 しくはリマスター論を参照)これらの複雑な調整をテープ1本毎について実行の必要が ある。確実に言えることは、オープンリール再生機とマスターテープがあっても、単に テープをかけるだけでは、まともな再生はできないということだ。 2)イコライゼーション、ゲインリダクション等の加工技術 イコライザーは音造りのための道具という認識があるが、和名は等価器で本来の意味 はモトの状態と等価にするための道具である。つまり「この方が気持ちがいい」などと いう安易な動機による使用は控えるべきものなのだが、マスタリング・エンジニアはこ の点でも十分な精神的修養ができていなければならない。逆にマスターに含まれる主体 成分を救済するためであれば、1)の再生イコライザーも動員することも。 ゲインリダクションは主にノイズサプレッサーとピークリミッターが使用されるが、 ノイズサプレッサーはその名のとおり雑音を抑圧する回路で、設定値が高すぎると肝心 の音楽信号が影響を受けてしまい不自然な音に変質する。しかし、この変質は数値化 または視覚化が困難で、聴感がすべてとなる。完全な雑音だけのサプレスは不可能で、 現実的には「駆け引き」となるため、やはり鍛え上げられた聴覚が必要となる。 ピークリミッターはアナログレコードのカッティングにおいては、音溝作成のための カッターヘッドに、過大な電力が送られることを抑制することが第一の目的であること から、ゲインリダクションとは異なる、波形レベルで作動するソフト・クリッパーと併 用される。特に高音域や帯域外の高域はカッターヘッドの大きな負担となるため、要注 意であるが、シンセサイザーや電子音楽などでは不注意からカッターヘッドを焼損する こともある。 3)レコード盤上の音溝作成技術 先ず、音溝やピッチはJISに定められる範囲内でなければならず(容易にオーバー する)、同時に音の変質を最小にしなければならない。カッティングはアセテート盤に (DMMでは直接金属板に)音溝を削り取ることでなされるが、その際に削り針を適切 に加熱することで(DMMでは超音波信号を併用)沿滑にカッティングがなされるが この設定温度によって音の変質具合が変化する。温度管理では針温度以外にカッターヘ ッドそのものの温度設定(油冷)も重要である。しかしこれらはあらゆる音信号に対し てベストな設定があるわけではなく、音ソースによって最適値は異なる。 音溝のピッチ(溝と溝の間隔。平坦部分)も、広く取りすぎると録音時間が短くなる し、詰めすぎると溝どうしが重なってしまい、再生時にそこでエンドレス状態になって しまう。重ならなくても近すぎると隣の溝の音が移ってしまう。(ゴースト現象) 参考までに’82年の筆者作「AFTER DINNER/GLASS TUBE」 はJVCにて、小鐵氏のエンジニアリングで最適化を計ったものである。JVCで最初 に驚いたことはモニタースピーカーの優秀さだった。最近のサウンド&レコーディング 誌のインタビュー記事の写真を見ると、当時と同じモニターに見えたのだが。DMMカ ット盤の例としては’88年のMIMIフェスティバル(仏)ダイジェスト・アルバム (AFTER DINNER)があげられる。 これら3つの技術はいずれも「検聴」を伴い、「検聴」により判定を行う。 ただし、音溝に関しては目視検査も重要。またそれぞれが密接に関連している。 4)発注者のオーダー、仕様の実行 発注者のオーダーとは曲間の送り(肉眼で見てわかる曲間のピッチの粗い部分)と、 曲毎のレベルをオーダーシートに従って調整すること。仕様とは最内周部分をエンドレスにしたりすることなど。 この4)項は上記の3項と比べれば、極めて事務的な、どちらかと言えば容易な作業と言えよう。 現在CD出版で行われているマスタリングのイメージとは随分掛け離れているが、職人芸的技巧に裏打ちされた作業と、弛まぬ修行によってアナログ・レコード出版は支えられていたのである。冷めた見方をすればイカロスがごとく、絶対に完全な作業が不可能なことを前提に、限り無く「前向きな」姿勢が要求される、孤高の仕事と言えるかもしれない * CDというディジタル・メディアの登場 ところがディジタル・オーディオという概念が一般化し、その具体的メディアであるCDの登場により事態は一変した。 それまでアナログ・レコードの時代、レコード会社の資産としてマスターテープ(原盤)の保有があった。この保有とは物質的所有と無形の権利の両面であるが、この物質的所有は、製品であるレコード盤よりも絶対的上位(まさにマスター)が明らかであることにより、資産としての価値が自動的に保たれていた。 しかしディジタルの特徴である「完全なコピー」(実際には現在でも完全なコピーは容易ではないのだが)が可能になったとたんに、この資産の概念は崩れ去った。つまりレコード会社が保有するマスターと製品であるCDが、同一のものでは原盤としての価値は消失し、権利の部分しか残らないことになる。この問題はレコード産業とオーディオ産業全体を巻き込む紛争に発展した。おりしもDATの製品が登場しようかという時期で、レコード業界はこのDATを「同一のコピーが作成出来る、ゆゆしき機械」と位置付け、訴訟を起こし出荷停止に追い込んだのである。この「悪の枢軸DAT」の冠詞のおかげで、レコード業界からDATはメディアとは認定されず、音楽販売のメディアとして抹殺されたのである。筆者の知る限り、ミュージック・テープとしてのDATはコジマ録音の製品がいくつか存在するのみである。もちろんレコード会社内のマスターとしてDATは現在でも健在なのだが。 レコード会社が行った資産保護策は、このDAT抹殺ともう一つ、この著作のテーマでもあるマスタリングの活用なのである。つまりマスターそのままではCDプレスを絶対に行わず、必ずマスタリングを経て製品化することにしたのである。エントロピーの増大則から、如何なる加工も情報エントロピー・ストリームの観点から論ずれば、それは必ず 「劣化」なのであり、すなわちマスターは絶対的に製品盤の上位に位置できることになるのである。 まさに信じられないような話であるが、レコード会社の指針として公式答弁の中で「マスターと同一の製品は作らない」ことを宣言している。言い換えれば「会社の資産を守るため、消費者にはマスターよりも劣化したものしか販売してやらん」と開き直ったのである。 多少の様式の変化(大規模マルチ・レコーディング・スタジオからフル・デジタル・ オンライン・スタジオ、メディアでは6.3mmアナログ・テープからDATまたはCD−R上のファイルへの変化)はあるものの、「マスター」という最大情報量のステップを経由するスタイルは今のところ不変で、前記のさじ加減(アナログ・レコードの時代は、如何にマスターに迫るかという前向きな姿勢を、デジタルへ移行後は如何に巧みに情報量を削りそれらしい音に作りあげるか、といった後ろ向きの姿勢)はマスタリングという 統括的ポジションに一任されることとなった。 つまりマスタリングの役目は道義的に180度転換してしまったのである。 このことはMDやDCC、あるいはMP3という圧縮を前提としたメディアに対する メーカーの情熱を見れば明らかである。これらのメディアはマスターや信号源と比べて、明らかに「劣化が保証された」メディアであるため、レコード会社に歓迎されるわけである。消費者は歓迎すべきではない。なぜなら明らかに劣化した音であり、すなわち無価値だからである。 CD−Rの普及はレコード会社にとって予想外の出来事で、DATの場合とは異なり訴訟や権利の主張などで封じることができない致命的状況(CDオーディオというメディアを放棄するなど・・コピーコントロールCD等)を招いている。DATの場合は訴訟の相手がオーディオ・メーカーという、レコード産業と持ちつ持たれつの対等な相手であったが、CD−Rは国策とも言うべき高度情報産業の落とし子であることから、メディアそのものを封じることが不可能だったからである。(注 PCを使用しての精巧な複製は容易ではない。オリジナルからの読み込み、データのPC内部での転送、HD上のロケーションとシークタイムから生じる時間軸上での不整列、書き込み精度などの問題で、それぞれの設定を最適化しても十分なコピー能力とは言い難い。わずか4〜5万円で入手できるCD−Rライターに遠く及ばないのが現状である。筆者が音的にある程度納得でき、データ上の検証ができたPCソフトは、唯一G4+ソニック・ソリューションを「正しく」使用したものだけであったが、価格を考えると・・・・・・。) コピー技術とマスタリング技術は密接な関連を持つ。製造者は安価で高品質に、消費者にはそれを許さないという相反する事象の実現のための技術としてもマスタリングは使用される。しかし、問題の本質は消費者が「オリジナルでなく自前のコピーで十分」と考えていることであり、オリジナルにオリジナルの魅力が欠如していることである。 ここまでこの文章を読めば、「デジタルと言えども同一の完全なコピーの作成が容易ではなさそう・・・」であることが感じられると思うが、実際のところ解析できない(推論はできる)未知の要素が音の問題には多々存在し、いいかげんな作業では容易に劣化し魅力に欠けるものになってしまうのである。またデジタル機器やソフトウェアの多くは「バカにでも使えるように」設計されており(フールプルーフ思想。後述する)、ある程度データが損壊していても、いかにも正常であるかのように音が出てしまう。これらの無責任な要素の集積によって現在のCDが制作されているわけで、「つまらないから誰も買わない」のは極めて当たり前のことなのである。(意識の表層ではもっと音楽が聞きたいと思っていても、CDやコンサートを聴くと心の深層では、「また、その音かよ!」と感じていることが「つまらない」ということである。ところが、この深層に位置する「つまらない」は意識にはなかなか伝達されず、問題を深刻化していると筆者は考えている。*注 この「つまらない」は、「脳深層が情報を十分に取り込めないこと」と言い換えることができる。また食物で例えるなら、おもしろいとは栄養分やミネラルに富んだ天然食品に、つまらないとはプラスチックを原料とした、色と刺激的な味覚だけの駄菓子のようなものかも。**注 食物についても、何をどのように摂取すれば良いのか、完全には解明されているわけではない。未知の要因が多々ある・・・。) この問題について筆者は20年以上も前から予想し、独自の規格を作成し対処してきたが、その一部であるマスタリングの手法に関するテクノロジーも独自に開発し実践してきた。いくつかのリスクを抱えながら、私が手掛ける作品のほとんど全てに現在でもアナログ6.3mmのテープを用いるのはこの一貫した姿勢に根拠がある。例えば’83年のMUE lab,規格のレベル−周波数応答特性で30〜40KHz+−2dBをマイクからモニターアンプ出力に至る全プロセスで規格採用しているが、これは現在のSACDにも十分対応できるものである。このF特性は一例に過ぎず、これ以外に位相特性やトランジェント、タイムアライメントなどの独自規格化と運用がある。 何より厳しく選定していることは(敢えて明確に規格化していないが)流行に左右されないモニターの採用である。ボイスコイルの巻き直しやコーンやエッジの手直し、特性の検査やリファレンスとの比較などは日常的に行っている。目的は数値化できない未知の要素を見逃さないためである。ちなみに筆者が現在使用している小型モニターはタンノイ社スーパーレッドモニター、同社デヴォン、ウエストレーク社BBSM−6で、いずれも原形は留めてはいない。 少々特性やモニターに内容が及んでしまったが、「聴いて」「的確に判断」することが如何に重要であるか著したいからである。正しい知識に裏打ちされた、聴いて判断されたものこそが「価値」を持つと考えるべきだ。私は売れたもの勝ち、とか価値は消費者が決めるといったダメ思想とは、断固対峙する! これらダメ思想は自らの首を絞める頽廃的刹那的指向であり、淘汰されるべきものだ。