マスタリング論 #2 2003年2月10日 宇都宮 泰 ** 各論 1 (技術体系と聴覚メディアのかかわり) 序説にて最適化の思想について記述したが、各論では技術的側面を含めて論じたい。 序説では最終的判断には検聴が重視されることを作業要点としてあげているが、これは技術的要件を満たした上ではじめて有効なことである。これはレコードやCDが作品の本体では無く、その作品を格納する容器であり、マスタリングとは容器に詰め込む、いわば盛り付けのための方法論であり、同時に一定の技術水準を満たした工業製品としての諸元を持つ必要があるからだ。 アナログレコードについての技術的解説を含めると極めて長大なテキストになる上に、現在の出版に於いて実用性に疑問もあることから、このテキストではCDとの比較について必要なレベルに留める。 * 予備知識 (重要) 現在の音楽出版に於いてCD(Compact Disc Digital Audio)は主流を為しているように見える。このCDというメディアは、ソニー社およびフィリップス社共著による義定書(プロトコル。数冊の書籍によるが、再生専用音楽メディアは赤い表紙であることから、通称レッド・ブックと呼ばれる。)に技術定義されたものである。定義にはアナログ信号からデジタル信号への変換方法、CD板上へのデータ配置や書き込み方法、検査方法等、当時必要と思われた実務的要件が含まれている。 当初、CDのマスターデータはU−matic system と呼ばれるビデオ・テープ上に疑似ビデオ信号の形式で配置し、そのデータをガラスマスターと呼ばれるプレス雌型に写しスタンパーを作成。そのスタンパーに融解した樹脂を注入、冷却固化した樹脂に金属反射層と保護および印刷層を付加、完成したCDのデータ中に含まれる数学的矛盾の有無をもって品質を評価すると定義される。 このオリジナルの製造工程を採用している企業は、現在日本ではJVC一社のみである。(2002年4月時点。2002年3月まではSONYも製造ライン所有していたが) −− レッドブック解釈によるプレス工程の流れ −− 1)オリジナル・マスター(DAT、オープンテープ、U−matic、その他) 2)マスタリング(PCM−1610、1630または相当品によるコーディング) 3)プレス用マスター・データ(U−matic) 4)ガラス・マスター 5)プレスおよびレイヤー付加(レイヤーとは反射、保護、文字の各層) 6)検査(検査は文字層の無いテストプレス盤上のデータを数学的に検査) 当初CDメディアは音楽出版にのみ利用されてきたが、PCソフトウェア(CD−ROM)の需要の増大とともに,次第に製造方式が変化してきた。当初はPCソフトウェアもU−maticを経由、音楽CDと同様のプロセスを経ていたが、このプロセスが高コストと長納期であること、およびCD−Rの台頭により、その考え方がマスターCD−Rのレプリカ(模造品、あるいは複製品の意味)へと移行した。 −− CD−Rのレプリカ(現在のCD製造の主流)製造工程 −− 1)オリジナル・マスター(DAT、CD−R、オープンテープ、etc) 2)マスタリング 3)プレス用マスター(CD−R) 4)プレス金型 5)プレスおよびレイヤー付加(反射、保護、文字の各層の付加) 6)検査(検査は文字層の無いテストプレス盤上のデータを数学的に検査) このように記述すると、ただ単にプレス用マスターがU−maticからCD−Rに移行しただけに見える。ところが筆者の調査によればこの2者の間には、根本的な差異があることが判明している。いずれの方式にも6)の検査では数学的検査だけが定義されているが、U−matic、CD−R、CDのメディア上のデータは単なるデータ列では無く、数学的装甲(リードソロモン暗号などによる)がほどこされたデータ(もし正常な読み書きができず変質が生じた場合、データが正常か異常かと、異常の度合が一定以下であるなら修復することが可能)なのである。レッドブック定義のプロセスでは3)のプレス用マスターから6)の検査まで、一切このエラー検出およびエラー訂正が入らない(単一のエントロピー・ストリームであるという)ことから、6)の検査により2)以降の工程がオーバーオールに「正常を保証」できるのである。 問題のCD−Rを原盤とするプロセスであるが、3)と4)の間(プレス用マスターの再生時)にエラー検出とエラー訂正、および再コーディングが行われるのである。つまり6)の検査が有効なのは4)以降についてであり6)の検査がノーエラーであっても3)と6)の間の同一性の保証は無い。(エントロピーストリームはエラー訂正が入る時点でリセットされ、別の新たなストリームとなる)実際に検証してみると、JON&UTSUNOMIA( )というアルバムの試作プレスでは、数学的にはノーエラーかつ、マスターとは数千サンプルの相違があるという矛盾したものであった。当然「違うダメ音」に変質していた。(詳しくは当webのJON&UTSUNOMIA関連のテキストを参照) この検査体制では音楽の入ったプレスマスターを工場へ入稿したのに、完成したCDは延々と続くホワイト・ノイズ(しかもノーエラー)、といったことも起こり得るのである。もちろん前者のU−maticマスターのレッドブックに準じたプロセスでは、このような変質は検査によって(内容の音の検聴以前に)100%不良であると判定される。 この問題についてまとめると、工業製品ととしてのCD生産は、現状に於いてCD−ROMのついでに生産される、形骸化した不完全な検査体制のプラントで行われている、と考えた方が安全である。もし、品質についての確証が必要であるなら、マスタリングを行うエンジニアが、品質や精度について検証する手段を持ち、同時に工場と交渉する能力を身に付ける必要があると、私は提言したい。(もちろん工場によってはマスターとレプリカのコンペアやヒアリングを実施しているところもある。)(*注 このような問題のあるプラントが稼働し続けている理由は、経済性と再生互換性の論理パラドクスに原因があると推測できる。) どれだけ頑張って音造りしても、前述のような未公開の技術的怠慢や様々なアクシデントによって、意図したものと異なるCDが作成されることは極めて多く、それでは努力が報われないというものだ。そのことが問題として表面化しないのは、マスタリング・エンジニアの勉強不足と怠慢だと私は断言する。なぜなら、今まで私が使用したことのある全ての工場は、客観的データを添付し問題を指摘すると、極めて前向きかつ積極的に対応。あげくそれら工場の担当者が口を揃えて言うことは「そのような問題指摘を、我々は待っているのにさっぱり具体的な指摘が無い」ということである。単に「音が違う」では担当者は動きようが無い。必要なのは具体的指摘とその指摘を行うための知識だ。 * 必要な技術体系(学ぶべきもののプライオリティー) このテキストでは従来公表されていない製造プラントの歴史的変容と、その問題点を指摘しているが、これは私が独自に調査検証した結果である。デジタルオーディオに於いて、アナログと最も異なることは、耳に聞こえる音以前の論理性がある程度必要で、業務として携わる者は最低限知識として学ぶ必要がある。アナログ的ヒアリングだけでは問題の解決につながらないことが多い。 最初に必要な知識は、「我々は音についてろくに知識のない」無知な存在であることの自覚である。音はおろか音楽について評価をしようとすると、如何に未知の要素だらけかよくわかる。よく「好き嫌い」を判断材料として振りかざし、それが真理であるかのように自己弁護する者がいるが、テクノロジーを行使するエンジニアリングに於いて、それは逃避以外の何物でも無い。 「ろくに知識がない」のには理由がある。音や音楽の問題は音響技術や理論、音楽理論によって説明されそうに思えるが、その説明は表層に過ぎず、実際に生じる美的感覚や印象は、脳生理そのものに直結した領域(人類に残された最初で最後のフロンティア)のものだからである。 結果はその良し悪しにかかわらず原因との因果関係がある。その因果の糸を解く鍵が検証と論理に裏付けられた推論である。もし検証も論理的推論も出来ない手法は、論じることも使うことも許されるべきではない。もはやそれはエンジニアリングではなく、お祈りや気休めである。先に述べたように「心」の問題と直結なので、ときにお祈りや気休めも有効だったりするが、これに頼るべきではない。 この高度な問題とエンジニアリングを混同してはいけない。まず優先されるべきことはプレス用マスターとして満たすべき技術要件を満たすことである。 1)マスターメディア上の信号の連続性確保 根本的なアナログとの相違点であるが、それが無音部分であろうと曲間であろうと理路整然と一定密度のデータ列で埋め尽くされていなければならない。(アナログマスターではリーダーテープや未録音部分は「無音」となるが、デジタルに於いて未録音部分や未変調部分はエラーとなり、最悪そこから先は再生されない。アナログレコードで言えば、途中で溝が途切れているようなものだ。 1−a)どのようなときに不連続が生じるか PCで書き込む場合ディスク・アット・ワンス形式とトラック・アット・ワンス形式が選択出来るが、トラック・アット・ワンス形式では書き込みを停止する毎、またはトラック毎に不連続が最低数百サンプル分、不正データとしてディスク上に残る。実際の不連続よりも多くの不正データが発生するのは、ディスク上のデータがリードソロモン変調などの数学的装甲および暗号化が時差を利用することで成立しているためで、不正区間全体では真の不連続部分+暗号化時差分となることから、大きなエラーとなるのである。 スタンド・アローンのCDライターを用いる場合も同様で、書き込み中に一時停止したり、デジタル直接入力時に入力に不連続(途切れたり不正変調がまざっていたり・・・)すると同様に、それはCD板上の不連続となる。 * スタンド・アローンのCDライターとはオーディオ・コンポーネント・タイプの、ホストPC不要の単独動作が可能な機材のこと。この種の機材でプレス用マスターを作成すると、理論上リード・インと本編、本編とリード・アウトの接続部分に不連続が発生するが、この二ヶ所のエラー部分には通常ヘッドシークしないため問題にはなりにくい。また、この不連続が原因で筆者がプレス工場からクレームを受けたことは一度も無いが、ライターの機種によっては許容限度を越えるエラーとなる可能性がある。(クレーム無し、正常プレス(コンペア、数学的エラー、ジッタともに検証)できた工場は国内M社、同O社、韓国S社、ホンコンR社。これ以外の工場では未確認であるが、稼働している装置から推論すると、問題は無さそうである。) 1−b)対策 対策は運用上の注意や工夫によるものと、ハード・ウェア製作を伴う検証の2つがある。1−b−a)運用上の注意と工夫 PCを用いてCD−Rに書き込む場合、不連続の最悪なケースはバッファー・アンダー・ランとして恐れられているが、これはもはや書き込み暴走の状態で、軽微な不連続は頻繁に起こることが容易に観測出来る。これはPCが汎用OS上で機能するマルチタスクの事務機だからで、OSレベルで割り込みプライオリティーを最適化すれば多少はマシになるのだろうが、現実的には質を論じる以前のものと言える。専用のGBバッファーと専用のプロセッサーおよび専用ドライブを備えたセットで、書き込みそのものはスタンド・アローンなパッケージがソニック・ソリューションであることを考えると、汎用PCのみで最上を目指すのはリスクが大きいかもしれない。 PCを用いた書き込みに於いて可能な運用上の工夫があるとすれば、書き込みデータのハードディスク上の配置などの工夫を行い、ヘッド・シークの余裕度を稼ぐことと、ファイル構造上のロスを低減することがあげられる。 曲の並び替えや編集などを経たデータは、ハード・ディスク上に散在した形になり、さらにエフェクトの有無で処理時間に差異が生じるが、その「生」データのままではすみやかで滑らかな出力は期待できない。HDドライブ上のデータはセクター管理されており、HDのヘッドはこのセクター単位でシークし読み書きを行う。つまり音楽は連続していてもHD上ではセクター単位で不連続データの形で処理されていくのである。MD等でも同様の処理方法を用いている為に、編集を繰り返すと使いさしのゴミセクターが増え、本来74分録音出来るはずが60分程度録音出来なくなったりするが、そのようなディスクを再生中にプレーヤーに耳をつけてメカの音を聴くと、忙しなくヘッドシークしていることがわかる。 ハードディスクでも同様で編集やエフェクトを使用して行くと、CPUだけでなくヘッドシークも次第に余裕がなくなり、やがて破綻する。そこで、別に用意した、フォーマット直後のきれいなHDドライブに曲順どおり、かつ単一ファイル化した状態で転送を行うことで、セクター順にきれいに整列したデータを配置し、そのドライブからCD−Rに書き込みを行う。 (言い換えれば、PC作業の常識である「オリジナル・データが非破壊である」ことが裏目に出るのである。つまり非破壊であることのしわ寄せは時間軸上に「不連続、あるいは不安定として」現れるのである。 並べ替え等の編集やその他の加工(レベル調整、EQ、ゲインリダクション等あらゆる加工)を行ったら、それら処理を済ませた加工後の、もう元には戻らないデータファイルを作成し、そのデータファイルをHD上の配置についても整列化し、その後このファイルをCD−Rへ写すことで、しわ寄せを最小化するのである。 ******************************** [最重要] すぐに音の違いとして、影響を認識できるかどうかは重要ではない。論理的に有害であることが確定していることを、可能の限り排除し作業にのぞむことこそが優れた作業環境の構築なのであり、作業者の「耳」を育て正常化する唯一の方法と言える。 手間がかかり、面倒であろうと、本来の意味を失った作業は作業者自らの「聴力」をも奪い取ってゆくことを知るべきである。 PCの導入は合理的で、それ以外の選択肢が無いかのような錯覚を受けるが、内部の処理系を理解し出力されたサウンドを冷静に判断すると、決してノーリスクではなく重要な未知の(未定議の)成分が変質していることに気付く。またエラーや不連続に対する余裕度の表示が無いことも問題であるが、それで納得しているプロ運用者が多いことはもっと問題である。これらエラーや不連続のマージンを把握するには、次項に述べる検証が必要不可欠である。 ******************************** 書き込みを行うさいに可能な限り1倍速CLVを指定する。(ただしCD−Rドライブによっては1倍CLVが最適とは限らず、後述する検証とヒアリングの併用で判断する必要がある。)また、書き込み形式はディスク・アット・ワンスであることは当然だ。 1−c) 検証 マスタリングエンジニアはプレス用マスターCD−Rの盤上に、データ不連続やエラーが基準値以下であるかどうか把握しなければならない。また、有効な検査方法を所持し、その検査結果がどれほどの範囲で有効かを知る必要がある。 録音制作の業務に於いて最も重要かつ慎重に行わなければならない作業が、再生検聴(録音したら直ちに再生聴きなおし、ミックスできたらすぐに反省聴きなおし)であるが、私が知る限りこの簡単なチェックを省略し行わない者が実に多い。 この「聴き直し」作業は検査の基本であり、最も重要度の高い作業なのに、めんどうなのか、早く宴会に突入したいのかは不明だが、ついつい省略してしまい、その結果正常に録音されていないテープやディスクを納品、あげく大事故につながった例を数多く目にしている。そのような不届き者に限って「そのブチブチいうノイズは最初からマスターに入っていたものが、目立つようになっただけだ」といった開き直りや、「この音の変質は、今の技術の限界」だという言い訳や、「機材の調子が・・・」などの責任転嫁が得意だったりするのである。 聴き直しは検査の最も基本的な手段であるが、ディスク・メディア上の信号についてより良い検証の方法がある。